広島・長崎への原爆投下により第二次世界大戦を終結させたアメリカは当時唯一の核兵器保有国であったが1949年にソ連が原爆開発に成功し原爆の投下を可能にした爆撃機Tu―4(B-29)の配備により核兵器保有国としてのアメリカの優位が覆されソ連による核攻撃がにわかに現実味を帯びてきた。
第二次世界他戦後に発生したソ連との対立からアメリカ本国を守るため当初二次大戦中に製造されたP-61や戦後製造されたF-82等を防空任務に配備させたがジエット時代が到来している以上旧式化することは明らかで1945年にジエット全天候戦闘機としてカーチスXP-45とノースロップXP-89の開発をそれぞれ指示していた。しかし1948年に鈍重で能力不足のXF-87はキャンセルされ一方XF-89夜間は様々なトラブルの発生から配備スケジュールに大幅な遅れが生じその期間を埋める為XF-89用に開発したレーダー機器E-1FCSを搭載した全天候戦闘機をロッキード(T-33を改造)に翌49年にノースーアメリカン(同じくF-86Aを改造)の2社に開発を指示した。
ロッキード社にとって特急開発はお手のものであったが空軍から搭載が指示されたFCSは元々B―36用に開発されたもので小型のT-33に積むのはとても無理でFCSの小型とT-33の大型化に苦慮することとなった。
機体の大型化に伴いエンジン推力の不足が明らかになりアフターバーナー付きのエンジンの搭載が決められたがジエットエンジン開発黎明期の当時としては未完の技術であったがロッキード・アリソン・ソーラー社の懸命な努力によって実現されアフターバーナーを搭載した初のジエット戦闘機の名誉を受けることになった
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メーカーの努力により試作機は1949年7月1日に初飛行しその年の12月には生産型であるF-94Aが部隊配備されるというハイスピードであった。
実践配備されたF-94A/Bは1950年6月に勃発した朝鮮戦争から1年経った1951年韓国のスーオンに展開し韓国の防空に従事したが共産軍への夜間爆撃任務に就いているB-29への迎撃活動が活発化するとB―29の護衛任務に投入され共産軍のLa-5戦闘機を撃墜する戦果を挙げている。
初期のFCSを改良し主翼を再設計して航続距離不足を主翼両端に大型の燃料タンクを付けて補いさらに武装を見越し射撃に効果のあるマイティ・マウスロケット弾を装備したロッキード社の本命ともいえるF―94Cが1950年1月に初飛行し逐次配備されていった
しかしその頃になるとF-89やF-86の部隊配備が進んで当初から指摘された航続距離不足が目立つようになり空軍からの発注数も減じられたがそれでも387機が生産され冷戦初期におけるアメリカ防空の基礎を築いた機体として航空史に残る名機である
F-94C性能
全長:13.57m
全幅:12.95m
自重:5,763kg
エンジン:P&WJ-48
A/B推力:3.970kg
最大速度:1.030Km
航続距離:1.930km
武装:2.75in無誘導ロケット弾×48
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