バトルオブブリテンが佳境を迎えたころゲーリング元帥がガーランド少佐に「何か欲しい物は無いかね」と尋ねたところ「イギリスのスピットファイアーが欲しいです」と語ったと言われている。
当時世界最強と謳われたルフトヴァッヘからも羨望された英国の救世主スピットファイアーの歴史は1936年イギリス空軍(RAF)が各航空機メーカーに発注した仕様書F37/34に始まる。この要求にスーパーマーリン社は1000hpの新型ロールスロイスエンジンを搭載した美しい曲線を持つ低翼単葉の試作機タイプ300で応じた。その高性能に満足したRAFは1936年6月3日「スピットファイアーMk-1」として310機を発注した。そしてWW2の危機が迫ってきたのでさらなる発注が行われ開戦の1年後には9個飛行隊に配備が終了していた。 |
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1940年の8月から9月にかけての「バトルオブブリテン」においては相棒のハリケーンと共に連日押し寄せるルフトヴァッヘの戦爆連合に立ち向かいイギリスを守り通した。
ライバルのMe109と比べると加速や垂直運動では劣ったが旋回性能では勝り当時実用化されたレーダーサイトの運営によりメッサーより優位な位置で交戦できた。勝敗を決めたのはパイロットの技量であったと言われている。
「英国の戦い」でイギリスを守り抜いたスピットではあるがその後のヨーロッパの解放への戦いでは航続距離や搭載量でアメリカのP-47や51に大きく水を開けられヨーロッパの空はアメリカ機に制覇されてしまった。
スピットファイアは「英国の戦い」の為に生れてきた戦闘機と言っても過言ではないだろう。 |