Home >今月のハイライト> CARRIER AIR WING FIVE CVW-5 第15話 


CARRIER AIR WING FIVE

CVW-5

Part15                                  Photo. U.S. NAVY

by Kiyoshi Iwama

Tip of the Sword” 、CVW-5のハンガーに描かれた彼らのスローガンである。空母を守る剣の先は、彼ら自身であり、「剣の先の如く鋭くあれ」と戒めている。またそれは遠く母国を離れ、太平洋の西岸に置かれた剣の先をも意味するように思われる。海外を拠点とする米海軍唯一の空母航空団としてCVW-5が厚木基地に本拠地を置いて、35年が過ぎた。その間、飛行隊の編成や使用する航空機も大きく変わり、その年月の長さを感じさせる。もう少しで在日40年を迎えるが、そのとき彼らは、その記念日を岩国基地で迎える。
我々飛行機ファンを大いに楽しませてくれたCVW-5であるが、厚木基地での活動も残り少なくなった。これを機会に、CVW-5のこれまでを振り返ってみたい。

これまでのあらすじ

資料記事
CARRIER AIR WING FIVE CVW-5 第14話 再び平和に
CARRIER AIR WING FIVE CVW-5 第13話(Rev.B) 日本へ 
CARRIER AIR WING FIVE CVW-5 第12話(Rev.C) ヴェトナム戦争(後編)
CARRIER AIR WING FIVE CVW-5 第11話(Rev.C) ヴェトナム戦争(中編-3)
CARRIER AIR WING FIVE CVW-5 第10話(Rev.C) ヴェトナム戦争(中編-2)
CARRIER AIR WING FIVE CVW-5 第9話 ヴェトナム戦争(中編-1)
CARRIER AIR WING FIVE CVW-5 第8話 ヴェトナム戦争(前編)
CARRIER AIR WING FIVE CVW-5 第7話 東西冷戦、朝鮮戦争後
CARRIER AIR WING FIVE CVW-5 第6話 朝鮮戦争(後編)
CARRIER AIR WING FIVE CVW-5 (第5話)朝鮮戦争(中編)
CARRIER AIR WING FIVE CVW-5 (第4話)朝鮮戦争(前編)
CARRIER AIR WING FIVE CVW-5 (第3話)朝鮮戦争勃発
CARRIER AIR WING FIVE CVW-5 (第2話)ジェット時代の夜明け
CARRIER AIR WING FIVE CVW-5 (第1話)誕生

第15話 Midway Magicとファントム時代の終焉

1980年のクルーズの話に入る前に、もう一つ紹介しておくことがあった。戦術電子戦飛行隊VAQ-136のEA-6Bの第1陣が2月29日に厚木基地に到着したことは前話で述べたが、同じ日にもう一つの新しい機種が厚木に到着している。それはA-6EのTRAMバージョン呼ばれる機体で、VA-128からVA-115へ移管されたA-6Eである。このA-6E(Bu.No. 161090)が到着したときにはノーマークで、タンクにだけVA-128の文字が入っていた。


この年の7月6日横田基地のオープンハウスに展示されたVA-115のA-6E TRAMバージョン(160191/ NF501)
写真: 筆者撮影

TRAMバージョンとは、FLIR、レーザ測距装置、レーザ目標指示器を球形のターレットに載せたTRAM(Target Recognition Attack Multi-sensor )と呼ばれる電子光学センサーAN/AAS-33を機首の顎部分に搭載したA-6Eで、レーザ誘導爆弾の運用が可能となった。さらにTRAMバージョンでは、機首に搭載されたレーダをAN/APQ-148から能力向上型のAN/APQ-156に換装しており、地上の移動目標の追尾も可能となり、攻撃能力が大幅に向上している。VA-115のA-6Eは、その後も順次TRAMバージョンに置き換えられていった。


AN/AAS-33 TRAM
写真: 筆者撮影

さて、1980年7月14日に横須賀を発った空母ミッドウェイの機動部隊は、CVW-5とともにインド洋に向かった。順調な航海であったが、休息のため寄港したフィリピンのスビック・ベイからシンガポールに向かう途中の7月29日、フィリピンのパラワン島(Palawan Island)と北ボルネオ沿岸との間の水路で、ミッドウェイがパナマ船籍の貨物船「カクタス号」と衝突する事故が起こった。ミッドウェイの船体には深刻な損傷はなかったものの、2名の水兵が死亡し、3名が負傷した。加えて飛行甲板に駐機していたVF-151の2機のF-4J が大きな損傷を受けた。その他にもVF-161のCAG機を含む3機のF-4J 、VMFP-3のRF-4B、そしてVAQ-136のEA-6Bが軽微な損傷を負った。ミッドウェイはそのまま航行を続けるが、事故は続くもので、8月5日にタッチ・アンド・ゴーを繰り返していたVF-151のF-4Jが操縦不能に陥り墜落した。幸い、パイロットとRIOともに機外に脱出し、海上で救出された。しかしVF-151は、この海域で3機のF-4Jを失うことになった。この後ミッドウェイの機動部隊はシンガポールを経由してインド洋に入り同海域で任務に就いていたCV-64 空母コンステレーションと8月17日に交代、既にアラビア海に展開していた原子力空母 CVN-69 アイゼンハワーと合流した。CVW-5とミッドウェイは、この後さらに2ヶ月半ほどをインド洋で過ごす。その間にまた事故が起こった。10月2日、夜間訓練中のVA-115のA-6Eが、片側エンジンに不調をきたし、ミッドウェイへのアプローチ中に墜落した。幸いにしてこの時も2名の乗員は無事救出された。さらに11月4日、インド洋での訓練中、VA-56のA-7Eがカタパルトで射出されたものの、エンジン出力が上がらず墜落、パイロットが死亡するという事故が起こった。このように事故に付きまとわれた今回のインド洋展開であったが、任務を終えたミッドウェイは11月26日に横須賀へと帰還している。


カクタス号との衝突時に被害を受けたミッドウェイとVF-161とVF-151のF-4J
出展: U.S. Navy Official Photo

この他、1977年にF-4NからF-4Jへと機種更新したVF-161とVF-151も、この航海を最後に、1980年の12月から1981年の2月にかけて、F-4Sへの機種更新を行った。F-4Sは、F-4Jの寿命延伸型で、電子機器も更新されているが、外観上のF-4Jとの大きな差異は、主翼前縁にマニューバ・スラットが設けられた点と、主翼端にAN/ALR-46 RHAWのアンテナが付けられたことであろうか。マニューバ・スラットのおかげで、F-4Sの空戦能力はF-4Jに比べ50%も増したとのことである。

そして新らたな機材を装備したCVW-5を載せ、空母ミッドウェイとその機動部隊は、西太平洋からインド洋へと展開するため、1981年2月24日に横須賀を出港した。この航海では、3月16日に東シナ海を南下中に、VA-115のイントルーダが墜落した民間のヘリコプターを見つけて急報、ミッドウェイからHC-1 Det. 2のSH-3Gが現場に急行し、ヘリコプターの乗員、乗客17名を救助し、ミッドウェイに搬送した。この後、CVW-5とミッドウェイ機動部隊はシンガポール、スビック・ベイそしてオーストラリアのパースを訪れ、オーストラリア海軍との共同演習”Beacon Compass”に参加した。このときのCVW-5の編成を表15-1に示す。

表15-1 1981年2月24日~1981年6月5日の西太平洋/インド洋展開時のCVW-5の編成


オーストラリアのPerth入港中に撮影されたミッドウェイの艦載機
出展: http://www.ausairpower.net/APA-CV-41-Midway.html by Carlo Kopp

CVW-5はこの年、さらに2回、西太平洋への短期クルーズを行っている。


発艦のため空母ミッドウェイのカタパルトに載ったVA-93 “Ravens”のA-7E(1981年11月1日)
出展: U.S. DefenceImagery photo VIRIN: DF-ST-86-04388


ミッドウェイからカタパルト射出される直前のVF-161”Chargers”のF-4S(1981年11月1日)
出展: U.S. DefenceImagery photo VIRIN: DN-ST-86-04459


1982年の1月に米空軍が主催する空・海軍統合の軍事演習、”Cope Thunder ‘82”がフィリピンのクラーク空軍基地を中心に展開された。この時、CVW-5からEA-6Bを装備するVAQ-136が電子戦支援のため参加したが、不幸にも1月22日に、1機のEA-6Bが燃料系統の故障からクラーク基地から10nm離れたジャングルに墜落している。その後VAQ-136は、3月前半に日本海で行われた米韓軍事演習”Team Spirit ‘82”に参加していたCVW-5とミッドウェイに合流した。この演習直後の3月18日、カタパルトで離艦途中のVA-93のA-7Eが、エンジン出力が上がらず墜落。パイロットは脱出し、海面から無事救出された。CVW-5とミッドウェイの機動部隊は4月5日に帰還したが、4月26日には、西太平洋への展開のため再び日本を離れている。この航海では、空母ミッドウェイ、空母レンジャー、そして空母コンステレーションの3つの空母戦闘群による合同演習”Exercise READEX 82”が5月に開催され、CVW-5もこれに参加した。この演習から帰国後、日本海で海上自衛隊との対潜水艦作戦の合同演習を行うため、ミッドウェイは7月27日に三度横須賀を出港している。

さらにこの年4度目の航海が、9月14日から12月10日にかけて行われた。前半の9月から10月にかけては、アラスカ沖合近くの北太平洋へと展開した。空母戦闘群がこの付近で作戦行動をとるのは、第二次大戦後初めてのことである。この演習中の9月29日、空母エンタープライズに搭載されていたVF-213 “Black Lions”のF-14Aが空母ミッドウェイに緊急着陸し、翌朝離艦するという場面もあった。勿論緊急事態でのことであるが、ミッドウェイのアレスティング・システムとカタパルト・システムはF-14Aにも十分対応できたようである。その後CVW-5とミッドウェイは日本海と東シナ海を通り、フィリピンへと移動した。このときCVW-5は、統合参謀本部から、隷下のVAQ-136をインド洋で作戦行動中のCV-66 空母アメリカへ派遣するようにとの命令を受ける。


CVW-5の艦載機を載せ、太平洋を航行中するCV-41 USS Midway(1982年12月2日)
出展: U.S. Navy Official Photo

1983年1月末、VAQ-136は厚木を発ちインド洋で行動する空母アメリカへと向かった。一方CVW-5と空母ミッドウェイは、電子戦部隊のVAQ-136を欠いたまま、2月25日に日本を発つ。まずは恒例となった日本海での米韓統合演習”Team Spirit ‘83”に参加し、その後前年同様北太平洋へと向かった。北太平洋での作戦行動後は南下し、佐世保を経由して横須賀、厚木へと戻った。この時のCVW-5の編成を表15-2に示す。

表 15-2 1983年2月25日~1983年5月9日の北太平洋展開時のCVW-5の編成

空母アメリカに展開したVAQ-136は、インド洋でいくつかのNATO加盟国軍との演習に参加し、5月に厚木へと戻ってきた。そしてこの年2度目の展開のため、ミッドウェイ機動部隊は6月2日に横須賀を出港した。横須賀出港の2日後の6月4日、着艦してきたVF-161のF-4Sがランプに激突して火災を発生、RIOは無事脱出したものの、パイロットは助からなかった。事故後もクルーズは続き、フィリピンのスビック・ベイ、香港、佐世保を経由してミッドウェイは8月13日に、横須賀に帰還している。



空母アメリカに展開した後厚木に戻り、5月22日の三軍統合記念日に展示されたVAQ-136のEA-6B
写真:筆者撮影


CVW-5と空母ミッドウェイの機動部隊は、この年、さらに10月15日から12月11日にかけ、同じコースでフィリピンまでのクルーズを行った。そして帰還後、僅かなクリスマス休暇をとって、暮も押し詰まった12月28日、インド洋に向け日本を後にする。このクルーズでは、CVW-5とミッドウェイ機動部隊はインド洋から北アラビア海へと展開し、英国海軍との協同演習を行った。北アラビア海で行動していた1月25日、VMFP-3 Det. BのRF-4B(Bu.No. 151979)が前脚の油圧系統に故障をきたし、前脚を格納した状態でアレスティング・バリアーを使って着艦する事故が起こった。機首部が折れ曲がった状態になったものの着艦は成功し、パイロットもRSOも無傷であった。このインド洋から北アラビア海の展開で、CVW-5とミッドウェイ機動部隊は連続111日の任務を遂行するという偉業を打ち立てた。ミッドウェイはこの時艦齢38歳に達しており、こうした老兵の活躍が、”Midway Magic”と言わせた所以である。

そして、1984年5月23日にミッドウェイは横須賀に帰還した。またCVW-5はミッドウェイの横須賀入港の数日前には厚木にフライ・インし、5月20日の三軍統合記念日にその顔を披露した。

またこの航海は、CVW-5と長年行動を共にしてきた、VMFP-3とHC-1 Det.2にとって、CVW-5との最後の航海となり、7月15日付で、両部隊はCVW-5を離れた。VMFP-3の後任部隊はなく、CVW-5からは専用の写真偵察部隊が消えたが、HC-1の後任にはSH-3Hを擁し、対潜任務を主任務とするHS-12 “Wyverns”がCVW-5の隷下に着任してきた。



1986年8月30日に横田基地で展示されたHS-12 “Wyverns”のSH-3H
写真:筆者撮影


新しい構成となったCVW-5は、空母ミッドウェイとともに太平洋に向け10月15日に厚木、横須賀を発ち、11月に北太平洋での3個空母戦闘群による合同演習、FleetEX 85に参加した。ミッドウェイ以外の参加空母は、CVW-11を載せたCVN-65空母エンタープライズ、そしてCVW-15を載せた最新鋭の原子力空母CVN-70 カール・ヴィンソンであった。CVW-11やCVW-15にはF-14AやF/A-18Aといった最新鋭戦闘機やS-3A対潜機などの新機材が配備されていた。12月1日に終了したFleetEX 85に続き、ミッドウェイとカール・ヴィンソンの戦闘群は日本海へと移動し、2日間の演習を行ったが、このとき情報収集のためか、多数のソ連の偵察機と監視船が現れた。この演習を終えた後、CVW-5とミッドウェイ機動部隊は12月12日に帰還している。このときのCVW-5の編成を表15-3に示す。


表15-3 1984年10月15日~1984年12月12日の西太平洋展開時のCVW-5の編成


1984年の暮れに空母ミッドウェイが横須賀で近代化改修を受けるとのニュースが国内で報道された。そのため年が明けた1985年1月14日の国会で、野党からこのニュースの事実関係を質す質問が政府に対してなされたが、中曽根首相は、米国からは何も知らされていないと回答するだけであった。しかしそんな日本政府の回答とは裏腹に、米海軍内では空母ミッドウェイの改修と艦載機更新の計画が着々と進められていたのである。

そんな中、1985年2月1日にCVW-5と空母ミッドウェイの機動部隊はフォリピンに向け出港した。フィリピン近海での訓練が終了した後、3月初めにスビック・ベイを出発、南シナ海を通り、香港で小休止の後、朝鮮半島で実施されている米韓統合演習”Team Spirit ‘85”に参加するため、日本海へと向かう。緊張する朝鮮半島での演習は、実戦さながらに繰り広げられ、在韓米空軍やクラーク空軍基地の第3戦術戦闘航空団のF-4E等に交じり、CVW-5の飛行隊も電子戦支援や地上攻撃の役割を担った。そして朝鮮半島での演習を終えた後、3月28日に帰還した。

この年2回目のクルーズ前にCVW-5の艦載早期警戒飛行隊、VAW-115が使用機をE-2BからE-2Cへと機種更新した。E-2Cは、E-2Bが搭載するAN/APS-111に比べ、地上クラッター抑圧能力や低空目標探知能力を大幅に向上したAN/APS-120捜索レーダを装備し、さらに、敵・味方の航空機/艦艇情報を提供する能力を付加され、艦隊の目としての能力を大幅に向上していた。大型空母に搭載される航空団に比べ戦闘機や攻撃機では世代の古い機体を使用しているCVW-5であったが、E-2Cの配備で早期警戒能力の点では同等のレベルに追いついた。



1985年5月19日の三軍統合記念日に初めて一般に公開されたVAW-115のE-2C
写真: 筆者撮影

さてこの年の2回目のクルーズはインド洋で、ミッドウェイは6月10日に横須賀を出港し、6月20日にフォリピンのスビック・ベイに入港した。スビックでの補給と小休止の後、インド洋でのミッションに就き、北アラビア海まで遊弋した。インド洋でのミッドウェイとCVW-5の任務は、その後CV-64 空母コンステレーションとCVW-14引き継がれ、ミッドウェイ機動部隊は、休養のためオーストラリアのパースへと向かった。しかし、インド洋航行中にVAW-115のE-2Cが着艦に失敗、エンジン出力を上げようとしたが間に合わず墜落、HS-12のSH-3Hが救助活動にあたり、乗員1名を救出することができたが、残る乗員は行くえ不明となった。不本意ながら、HS-12にとってはこれがCVW-5での初のSAR活動となる。その後機動部隊は、オーストリアのパースで休養を取り、10月15日に日本へと帰還した。このときのCVW-5の編成を表15-4に示す。

表15‐4 1985年6月10日~1985年10月14日の西太平洋展開時のCVW-5の編成


既にF/A-18への転換がきまっている、VF-161とVF-151のF-4S、そしてVA-93とVA-56のA-7Eにとっては、最後のミッドウェイとのクルーズが1986年の初頭に待っていた。1月17日に横須賀を発った空母ミッドウェイは、CVW-5の機体を収容し、南シナ海へと向かった。フィリピンのスビック・ベイで休息後はタイへ向かい、その後年次演習となっている”Team Spirit‘86“に参加するため朝鮮半島沖合まで北上し、演習に加わった。演習後の3月23日、黄海を航行中にミッドウェイと北朝鮮の漁船とが衝突するという事故が起こる。漁船は丁度右舷の第1エレベータ付近に衝突したようだが、ミッドウェイの船体はほとんど無傷に近い状態であった。漁船の乗組員は韓国側に引き渡され、ミッドウェイは帰国の途に就いた。そして3月25日、東シナ海を航行中のミッドウェイから艦載機を厚木に戻すための発艦作業が始まった。VF-161,VF-151のF-4S、そしてVA-93,VA-56のA-7Eにとっては空母ミッドウェイからの最後の発艦であり、特にVF-161とVF-151による発艦は、米海軍ファントムII実戦飛行隊の空母での運用を締めくくるイヴェントとなった。

CVW-5の艦載機は、25日から26日にかけて厚木にフライ・インしているが、空母ミッドウェイは25日に佐世保に入港し、翌日出港し、横須賀には3月30日に入港し、6号ドックへと入渠した。一方、厚木に戻ったVF-161,VF-151, VA-93,VA-56、及びVAQ-136は、トランスパックの準備に取り掛かった。VAQ-136は能力の向上したEA-6B ICAP IIに機体を更新するため、一旦本国のNAS Whidbey Islandsへ帰還することになったのである。

そしてついにその日がやってきた。VF-161とVF-151のハンガー内には”Phantom For Ever”などの貼り紙が、そこら中に貼り付けられ、整備員たちも最後のファントムIIをベスト・コンディションで送り出そうとしていた。第1陣の出発は4月8日、まずVF-161のF-4S 5機とVF-151のF-4S 1機が朝の7時50分に厚木基地のR/W01から離陸を開始し、その30分後にはVF-151のF-4S 6機の離陸が始まり、トランスパックに旅発った。第2陣は4月26日に残るVF-161のF-4S 7機とVF-151のF-4S 1機とが、第1陣と同様に2波に分かれて離陸した。しかし、この日離陸したVF-161の1機(Bu.No. 155880)が燃料系統に故障を来たし、エスコートする僚機とともに厚木に引き返してきた。この2機のF-4SがCONUSに向け再出発したのが5月5日で、この日の離陸が、日本での海軍ファントムII最後の姿となった。

なお当初の計画では、日本を去ったVF-161、VF-151、VA-93、VA-56の各飛行隊はNAS LemooreでF/A-18Aに機種転換し、戦闘攻撃飛行隊(VFA)として厚木に戻る予定であった。しかしVA-93とVA-56は1986年8月31日付で解隊となり、またVF-161とVF-151は機種をF/A-18Aに転換し、1986年7月1日付でそれぞれ呼称をVFA-161、VFA-151に変更したものの、VFA-161はCOMLATWINGPACへ転属となり、結局VFA-151のみが日本へ戻ることになったのである。

(この章終わり)

私のアルバムから (本章に関連する当時のCVW-5の機体)



1981年8月3日、厚木のR/W19に着陸するVF-161のF-4S(154781/ NF107)



1982年5月23日の厚木基地三軍統合記念日に展示されたVA-93のA-7E(160731/ NF301)
このA-7Eには右下の写真にあるAN/AAR-45 FLIRポッドが搭載されていた。



1982年5月23日の厚木基地三軍統合記念日に展示されたVF-151 のF-4S(153835 NF200)



1983年5月22日の厚木基地三軍統合記念日に展示されたVF-151のF-4S(155745/ NF211)



1983年5月22日の厚木基地三軍統合記念日に展示されたVA-115のA-6E(161100/NF500)


1984年5月20日の厚木基地三軍統合記念日に展示されたVA-56のA-6E(157487/NF411)



1984年5月20日の厚木基地三軍統合記念日に展示されたVF -161のF-4S(153820/NF101)



離陸のため滑走路へと向かう第50艦隊戦術支援飛行隊、VRC-50のUS-3A(157998/RG712)。
CVW-5所属ではないが、第7艦隊の支援飛行隊である。(1984年5月20日)



1985年5月19日の厚木基地三軍統合記念日に展示されたVF -151のF-4S(157264/NF215)
カウンター・シェードのロービジ塗装が施されている。



1985年5月19日の厚木基地三軍統合記念日に展示されたVA-56、チャンプスのA-7E(159658/NF411)
F-4S同様、カウンター・シェードのロービジ塗装が施されている。


 Home >ハイライト> CARRIER AIR WING FIVE CVW-5 第15話 

Vol.39 2012 March   www.webmodelers.com /Office webmodelers all right reserved /editor Hiromichi Taguchi 田口博通
  無断転載を禁ず  リンクフリー
「webモデラーズ について

資料記事

TOTAL PAGE