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誌上個展

T-62 (トランペッター 1/35)

by タンク ダンク



 なぜ、今回の特集でなぜT-62か その理由は というと、ワルシャワ条約軍の中核といえば 旧ソ連、その代表的な戦車が T-62だったからです。 T-62は1965年5月9日にモスクワ赤の広場で行われた「対ドイツ戦勝20周年祝典パレード」で初めて行進に参加し公式に公表されています。
 実はワルシャワ条約軍のソ連戦車が一躍有名になったのは、1968年に起こったチェコの「プラハの春」事件。
1968年8月20日夜11時頃、ソ連率いるワルシャワ条約機構軍が国境を突破し突然侵攻。チェコスロヴァキア全土を占領下に置きました。
 ソビエト連邦軍主導のワルシャワ条約機構軍によるいきなりの軍事介入でチェコが蹂躙され、短い春が終わったのですが、その主役になったのがT-55と このT-62でした。
ちなみにT-62の公式の初の対外実戦参加は1969年の 中ソ国境紛争 珍宝島事件の時とされています。ワルシャワ条約機構内の出動は実戦参加とは定義していないのでしょう。 
1956年のハンガリー動乱はT-55が主役でしたし、ソ連の戦車は いつでもこんな具合に悪いことで有名になりますね。
 プラハの春事件でわかるようにワルシャワ条約機構軍の役割は西ヨーロッパのNATOに対峙しつつ、実は中核ソ連による東ヨーロッパの同盟諸国を支配することが主な機能だったのです。
T-62は世界で初めて滑腔砲を装備した戦車として注目され、車高の低いシルエットにお椀のような丸型砲塔などソ連らしい戦車デザインでした。

プラハの春 に出動し、市内建物を壊しながら群衆を追いたてるT-62



トラペのキットは

主砲がアルミ引き物がおごられているのが、最大の特徴でしょう。形状はまあよくまとまっていて良く出ています。
キャタピラが組み立てにくいのが欠点でした。
砲塔の手すり類は自作してあります。
また、無線アンテナも洋白線で自作しました。



主砲も含めて、全体をタミヤパテをシンナーで溶いた溶きパテで、塗りたくり、マホガニーで下塗り。ロシアングリーンで吹き付けました。
マーキングはさすがに白帯、ダイヤ 314番は憚れるので、キット付属のデカールを使用しました。
東ヨーロッパの国々がワルシャワ条約軍を離れ、NATOに加盟するようになり、ワルシャワ条約軍も少し、機能が変わってきてはいるのでしょうが、
プラハの春のような事件の再来は望みたくないものです。





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