スピットファイアの設計者で、42歳で癌で亡くなったレジナルド・ミッチェルの最大の功 績は、高速水上機を設計してシュナダー・トロフィー・レースを三連覇し、祖国にトロフィー
をもたらした事だと思います。
レースはフランスの富豪ジャック・シュナイダーが、水上機のスピードレースを主催し、優勝者に1,000ポンドのトロフィーを贈ることで1913年から始まりました。レースの規則
は厳しく、参加の水上機は実用的なことを証明するために、競技開始前に海上で離水、 着水、滑走の試験を行った後、6時間外海につながれて沈まない事がチェックされます。
そしてレースは水上に設置された3点を周回して速度を競い、5年間に3回優勝した国 がトロフィーを永久保有して、レース全体が終了します。
初年度はモナコで開催され、フランスが73.2kmの平均速度で優勝、翌年はイギリス が勝利し、第一次世界大戦の中断を挿んで、1919年に再開されたレースは霧のため
レース自体無効になりました。1920年、1921年はイタリアが優勝し、トロフィー所有に リーチをかけましたが、翌年はイギリスがひっくり返し、1923年は初参加のアメリカが優
勝をさらいます。翌年のレースは延期され、1925年はドーリットルの操縦によりアメリカ がリーチ。しかし1926年はイタリアが奪回。
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翌年はイギリスがミッチェル設計のS5で勝利します。以後イギリスの陰謀?でレースは隔年開催になり、1929年、1931年と立て 続けにミッチェル設計の水上機が優秀して、トロフィーはイギリス所有となり、レースは終了します。
正に古き良き時代を象徴した、国家の威信をかけたレースでもありました。イタリアは シュナイダー・トロフィー・レースには敗れたものの、1934年にマッキM.C.72を開発し、平均速度709Kmという水上機の世界記録を樹立して、一矢報います。
飛行機が兵器としては未だ未熟だった時代のエアレースは、現代のオリンピックやワー ルドカップのような感じで、市民に受け入れられたのではないでしょうか。
トロフィーは「そよ風をかたどったやさしいトンボの羽を持った若者の像が、波をかたどっ ている四人の女のところへ急降下して、くちづけをしているところ」とのことです。(「大空に
いどむ」 J・テイラー作 橋本英典訳 岩波少年文庫より) イタリアが赤ならイギリスは青とするカラーも、この時代に作られていたとは驚きました。
投稿する写真については、再掲は原則しないようにしていますが、今回はレース機を 一堂に会す(ケアネの常套句!)方が良いと思い、イタリア機の2枚は再掲させたいただ
きましたので、ご了解いただきたく、よろしくお願いいたします。 |