オースチン・ヒーレー 100 は ブリティッシュライトスポーツカーを代表する美しい2シータースポーツカーで、その姿に魅了される人が多い。
日本では後継のカニ目のヒーレー スプライトのファニーフェイスの方が有名だが、これに対し、ヒーレー100は どこにおいても絵になる車で、最近では アニメ「ギャラリーフェイク」の冒頭に 主人公が乗る似た車が登場している。
この美しいスポーツカーの開発から生産の経緯は ちょっと変わっている。
1950年代当時、イギリスで売出し中のカーチューナーだったドナルド・ヒーレーにより、彼の小さな会社で、オースチンA90アトランティックのメカニズムを母体にして開発され、美しいボディがデザインされた。ヒーレーは1952年のロンドンモーターショーに出品し、ブリティッシュ・モーター・コーポレーション(BMC)・オースチン部門のトップであったレナード・ロードはそのデザインに強くひかれた。
その後、レナード・ロードと、ドナルド・ヒーレーとの間に20年間の合弁事業契約が結ばれ、「オースチン・ヒーレー」は、イギリスのスポーツカーブランドとして誕生したのだ。BMCは あの箱型オースチンタクシーで有名な大手メーカーで、その大メーカーの生産販売力と 街のガレージチューナーが提携したようなものと考えれば いいだろう。 |
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オースチン・ヒーレー100は 1953年から1959年にかけてブリティッシュ・モーター・コーポレーション(BMC)で生産された ベストセラー スポーツカーシリーズとなった。当時、実に3万台が生産されたのである。
レベルからモデル化された 「100-6」はその最後期型で 1958年から生産された6気筒2639ccエンジン型で4シーターとなっている。「100」よりも最終型の「3000」と多くの共通点を持ったモデルで、+2(後席)のスペースを作るため、ホイールベースは2インチ拡大されている。車体重量2,478lb.(1.12トン)で 最高速度105m.p.hを出した。
「100」という名をドナルド・ヒーレーがつけたのは、この時代にはほとんど存在しなかった100 m.p.h(時速160kmに相当) を達成できる車両であることに由来する。
それだけ、この車が速かったということであり、ヒーレー100は美しいだけでなく、1950年代のカースポーツを牽引した有名な車となった。各地の草レースをはじめ、当時のスポーツカーレースにはことごとく登場している。
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