今月の特集「今は無きメーカーのプラモデル」に合わせて、引きずり出せる内外のキットを紹介しましょう。過去の作例は捨てずに取ってありますが、例の通りダンボールに阻まれて模型棚まで行けません。小さい頃から父親のソリッド作りを手伝わされ、雑誌の図面を元に木材から削ってペーパーがけしていました。しかし何故か父親が艦船はブルー、飛行機は銀にしか塗りません。まだ国産プラモが発売される前は、新橋ステーションホビーが輸入プラモやモノグラムのバルサ印刷キットを売っていた唯一の店で、当時は高価だったレベルのピアゼッキ・ヘリコプターのキットを初めて買ってもらいました。プラモの知識などないのでソリッドと同じセメダインCで組み立て、水に浮かすデカールなんか分からないから台紙のまま切り抜いてセメダインで機体に貼り付け、ラッカーを塗っています。その後は、マルサンが日本初のプラモデルと称してレベルをパクった原子力潜水艦ノーチラス号を発売し、普及し始めたTVで落語家の三遊亭金馬が司会するプラモデル・コンテストが毎週放映されて夢中で見ました。 |
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まだ国産プラモ黎明期で小学生の買えるキットは少なく、町で唯一の模型屋で三共ピーナッツ・シリーズの飛行機をコツコツ買っています。デパートの玩具売り場には箱絵もすばらしいオーロラの空母エンタープライズやレベルの巨大な原子力発電所など遠くから見るだけでしたが、父親がボーナス時にレベルの空母フォレスタルを買ってくれてエレベーターの昇降ギミックに驚いたものです。家の立替で箱やいくつかの完成品は無くなりましたが、父親が作ってくれた模型棚のおかげでソリッドやプラモは今もほとんど保存してあります。横浜市内の中学へ進学して元町の千代田ママストアや黄金町の輸入プラモ店、新橋ステーションホビーへ通って顔を覚えられて貴重な輸入キットを心行くまで見せていただき、買えなくても幸せな時を過ごせました。当時は高価で買えなかったキットも海外のオークションで入手しましたが、最近では落札価格が高騰して日本向けの送料も高くなりとても入札する気にはなりませんね。 |