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誌上個展

(Photo)ソ連大戦戦機と言えば…ツポレフTu-2

by  コルディッツ

  長い間、大戦中のソ連の傑作双発爆撃機はぺトリヤコフPe-2と思い込んでいましたが、 最近になって、ツポレフTu-2だったことに気がつきました。大戦後のTu-2の配備を見れば想像できそうなものですが、Pe-2はエアフィックスから模型が出ているのに、Tu-2は プラモデルがなかった事ーソ連圏では出ていたかもしれませんがーが、やはり印象を大きく左右していたようです。
 現在、Tu-2はウクライナのICMから72でキット化されていて、中国のシュントンモデルからも48でリリースされるそうですので、時代の差を感じます。
 ポーランド空軍博物館の英文ガイドブックによれば「Tu-2は、1940年代初期にアンドレ・ツポレフの指揮するチームによって設計された中爆撃機である。この機の歴史は、監獄で設計されたことで有名になっているが、それはスターリンの命令で、ツポレフ設計局の全員がルビヤンカに収監され、そこで高速急降下爆撃機の設計を命じられたからである」(拙訳)とあります。ルビヤンカは、モスクワ市内にある、当時は泣く子も黙るソ連内務人民委員部(NKVD)の本部で拷問所で監獄で処刑所でした。
第二次世界大戦が始まると、設計の優先順位は最前線高速水平爆撃機に変わり、最初のプロトタイプは1941年1月に飛行し、次のプロトタイプは星型エンジンに換装し、このタイプが生産されて、1942年5月にTu-2と呼称されるようになり、同年から戦闘に参加します。1943年にシュベツォフAsh-82FNエンジン(1,850馬力)搭載のTu-2S 型が開発され、翌1944年から1947年までの間に2,527機製造されました。
 Tu-2SはIl-28に交替しますが、その間に朝鮮戦争にも登場しています。
 ポーランド空軍博物館の機体は、射出座席のテストに使われたもので、座席は上部銃座に置かれていたそうです。


ポーランド空軍博物館(クラコウ)にて 2011年5月撮影













ポーランド軍事博物館(ワルシャワ)にて 2009年4月撮影











中国空軍博物館(大湯山、北京) 2004年5月撮影
中国空軍の機体は、朝鮮戦争よりもチベット侵攻で活用されたようです。







3枚プロペラの機体は、Ash-82FN以前のエンジンなのかは不明です。 




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