1944年8月1日にワルシャワで蜂起したポーランド国内軍(AK)は、ドイツ軍の包囲下で孤立無援のまま2ヶ月間市街戦を戦い、降伏しました。指揮官コモロフスキ将軍は捕虜となり、コルディッツ特別捕虜収容所に運ばれています。
国内軍は、独軍軍中央軍集団の壊滅を受けて、ソ連軍による首都解放前に、自力で解放を目指し急遽蜂起したので、約5万人の兵士は、ほとんど武器を持っていませんでした。
ワルシャワ蜂起の背景となる、第二次世界大戦から戦後のポーランドの複雑な情勢は、アンジェイ・ワイダ監督の「カティン」や、蜂起を描いた「地下水道」(つまり下水道)、戦後
の混乱は「灰とダイヤモンド」「鷲の指輪」等でご存じの事と思います。
さて国内軍の蜂起は、目標とした市内の重要拠点の多くを奪取出来ませんでしたが、独軍の補給所占領には成功し、小火器と軍装を確保しました。そのため国内軍兵士は独軍のヘルメットを被っています。またヘッツアー戦車1輌とSdkfz251D型装甲兵員輸
送車1輌を捕獲した上に、さらにトラックに装甲板を被せてソ連製DP28軽機関銃1丁を 装備した即席装甲車1輌を製造し、これをクブシュ(Kubus)と名付けました。
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クブシュはSdkfz251と共に、独軍の立てこもるワルシャワ大学に2回突入を試みましたが失敗、その後戦況の悪化により放棄されました。終戦後に回収されてレストアされ、今はポーランド軍事博物館に展示されています。またワルシャワ蜂起60周年の2004年には、ワルシャワ蜂起博物館の開館に合わせ、自走可能なレプリカも1輌製作され、現在はワルシャワ蜂起博物館に展示されています。
2輌のクブシュは、同日に同じカメラで、同じ人物(私)が撮影した物ですが、写真でも 一目で分かるように、形も塗装も異なり、「何故?」と頭を悩ませます。ミラージュ社から
35スケールでリリースされていますが、どちらのクブシュなのでしょうか?
また国内軍使用のヘッツアーは、軍事博物館で展示との事ですが、私はそれらしい物 には気付きませんでした。けれど同博物館は、亡命ポーランド軍のシャーマン戦車さえも
展示するなど、およそポーランド軍の使用した兵器を網羅しています。そこになぜか破壊 されたヘッツアーと外見は支障なさそうなSdkfz251も展示されていました。これが蜂起
の時に使用されていた物とは、塗装が異なり、こちらも頭を悩ませます。 |