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誌上個展

<日本航空史>
知られざる戦争秘話 物見山の殉職慰霊碑

  by 加藤 寛之

 昭和19年5月、陸軍の航空機が埼玉県日高市横手の小瀬名地区に墜落、乗員4名が死亡する事故があったという記事が、私の住むところの地方紙「文化新聞」昭和62年8月7日付に掲載してあった。しばらく前に、紙面をめくってある調査をしていたときに見つけた記事である。  近隣の方にしか理解出来ない説明になるが、それは埼玉県日高市にある日和田山から物見山に向かうハイキングコースを進み、物見山を過ぎてから小瀬名地区へ向かう道へ曲がってたどりつく。この道のりでは、途中で道を聞ける場所はかなり手前の「ふじみや」という小さなお店くらいである。わたしもそこで碑の場所を確かめたのだが、「物見山を過ぎて左に行って右へずっと周っていったところ」というくらいで説明困難、迷わずにたどり着けたことが奇跡的だった。




 行ってみるとそこは南に見向いた斜面の畑で、春のやや強い日差しに溢れる場所だった。
 碑についての以下の説明は、上述の「文化新聞」に基づくものである。
 墜落した飛行機は茨城県鉾田の陸軍航空隊に所属、特攻に加わるべく最後の計器飛行訓練中に計器が故障、物見山付近の山林に墜落したのだという。事故現場には死亡した陸軍中尉永野淳、海軍少尉川渡貞雄、陸軍少尉山下豊、技術雇員菅谷照の乗員4名の名前を彫った「殉職之地」の碑が建てられ、それがこれだという。
 昭和19年5月という日付から「特攻に加わるべく最後の計器飛行訓練中」という新聞報道の表現が妥当かは別として、ここで4名が亡くなり、鎮魂の碑が建てられたということだ。碑の近くには2件の家があるのみだが、碑の周りはとてもきれいに草がとられ大切に守られていることが分かる。

 航空史のひとつというよりは戦跡と紹介するべきかもしれないが、これも日本の航空界を巻き込んだ出来事のなかで起こったことである。まもなく、ポツダム宣言受諾から70年になる。




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