行ってみるとそこは南に見向いた斜面の畑で、春のやや強い日差しに溢れる場所だった。
碑についての以下の説明は、上述の「文化新聞」に基づくものである。
墜落した飛行機は茨城県鉾田の陸軍航空隊に所属、特攻に加わるべく最後の計器飛行訓練中に計器が故障、物見山付近の山林に墜落したのだという。事故現場には死亡した陸軍中尉永野淳、海軍少尉川渡貞雄、陸軍少尉山下豊、技術雇員菅谷照の乗員4名の名前を彫った「殉職之地」の碑が建てられ、それがこれだという。 |
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昭和19年5月という日付から「特攻に加わるべく最後の計器飛行訓練中」という新聞報道の表現が妥当かは別として、ここで4名が亡くなり、鎮魂の碑が建てられたということだ。碑の近くには2件の家があるのみだが、碑の周りはとてもきれいに草がとられ大切に守られていることが分かる。
航空史のひとつというよりは戦跡と紹介するべきかもしれないが、これも日本の航空界を巻き込んだ出来事のなかで起こったことである。まもなく、ポツダム宣言受諾から70年になる。 |