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(Photo) フランコ将軍とDH.89ドラゴン・ラピード

by  コルディッツ
飛行機実機写真

 今年はスペイン内戦勃発80周年です。スペイン陸軍による人民戦線政権に対する軍事蜂起は、1936年7月17日朝、スペイン領モロッコのメリーリァで開始 されました。実はメリーリァで反乱計画が漏れ、18日17時の反乱開始が前倒しされたものです。
 この時、モロッコ反乱軍を指揮する予定の元陸軍参謀総長フランコ将軍は、左遷先のカナリア諸島のグラン・カナリア島のラス・パルマスにいて、翌18日に予め用意されていたチャーター機で、フランス領カサブランカを経由して、反乱軍に駆けつけます。その後はヒトラーやムッソリーニの援助と幸運に恵まれ、反乱軍の総指揮官となり内戦に勝利し、スペインの支配者となりました。
 そして第二次世界大戦を巧みにやり過ごし、恩人たちと心中することなく、1975年の死去までスペインの支配者であり続けました。
 スペイン内戦では、反乱軍内部のフランコのライバルは飛行機事故で死亡、フランコ指揮のモロッコ部隊はドイツの援助のJu-52でスペイン本土に展開、ドイツ空軍の「コンドル軍団」によるゲルニカ空爆、と飛行機なしには語れないと思います。
 フランコの飛行のチャーター機は、デ・ハビランドDH.89ドランゴ・ラピードです。
 この木製の複葉機は、内戦終結後にフランコに贈られ、今はマドリッド郊外のクワトロ・ビエントスにあるスペイン空軍博物館の一画に展示されていますので、紹介させていただきます。
 機首に「OLLEY AIR SERVICE LTD」と書かれていますが、この航空会社は1934年~1953年にロンドンのクロイドン空港を中心に定期路線を運航していた英国の会社です。同社から英国人の休暇旅行を名目にチャーターしたもので、操縦士
のセシル・ベッブ(資料によっては大尉とも)とヒュー・ポラード少佐、少佐の娘と娘の友人の一団で英国を出発しています。娘と娘の友人はフランコの空輸を隠すダミーでしたが、ベッブとポラードはMI6のエージェントでした。
 フランコにとって、モロッコへの飛行は開運をもたらしましたが、一歩間違えば、即逮捕ー処刑もあり得ました。そこで飛行中の機内で彼は己が運命をどう考えていたのか、長く気になっていました。
 そして2013年7月にダックスフォード・エアショーを拝観した折に、ついにデ・ハビランドDH.89ドラゴン・ラピードに搭乗する機会があり、フランコの追体験が 可能になったのですが、ところがいざ機内に乗り込んだら、すっかりヒコーキに夢中になり、将軍の事など、どっかにす飛っとんでしまいました(笑)


スペイン空軍博物館(クワトロ・ビエントス)にて  2004年10月撮影
デ・ハビランドDH.89ドラゴン・ラピード  G-ACYR/40-1


ダックスフォードにて  以下は2013年7月撮影 DH.89A G-AKIF
 デ・ハビランドDH.89Aドラゴンラピード G-AKIF


滑走路脇で自分の搭乗を待つ間、「安全のしおり」を渡されて、
よく読むように言われました。久しぶりに熟読させていただきました。




機内座席は片側4席の2列ですから、8人搭乗できます。
 パイロットは乗客が座った後に後部ドアから入りました。


私は左側の最後部座席だったので、名誉ある(?)ドア監視係でした(笑)
 こんな簡単な錠で大丈夫なんだと、感心しました 。


フロアーと座席の様子。フランコもこのような座席に座ったのでしょうか?




離陸に向けて滑走路に進む時、展示機を意外な視点から見れることに
気が付き、熱狂しました。



 離陸です。浮き出すような重量感のない感じでした。



飛行中の機内。皆さんカメラにスマホに大忙し。




眼下に帝国戦争博物館ダックスフォード! 8の字飛行をしたようです。






いよいよ着陸です。


3点着陸も自然に、衝撃なく決まりました。



皆さん大満足。機から降りるのは、乗った順になりますので、私は最後。








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