フェアリーバトルは1936年3月10日に初飛行した軽爆撃機です。エンジンはロールスロイス・マーリン(1,030hp)、低翼単葉の引込脚の三座機で、イギリス空軍は開戦時に1,000機を配備したそうですが、既に旧式化していました。
開戦後は大陸に進出して偵察任務に就き、イギリス空軍機の被撃墜第一号とイギリス空軍機によるドイツ空軍機撃墜第一号を記録しています。
1940年5月10日独軍は電撃作戦を開始、バトルは果敢な反撃を行います。
10日は護衛戦闘機なしで32機が出撃し、13機が撃墜され、残りも全機被弾。
翌11日は8機出撃して帰還は1機。そして12日はアルバート運河(ベルギー)の橋梁攻撃に、志願者による5機が出撃して全滅。しかし橋1基の破壊に成功し、先導機の戦死した搭乗員2名に、英空軍初のビクトリアクロス勲章が授与されました。14日にはセダン(北部フランス)付近の独軍機甲部隊の攻撃に、バトル63機が出撃するも、35機が撃墜。ドイツ軍は英仏海峡まで進撃に成功します。
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何とか生き延びたバトルは本土に撤収、バトル・オブ・ブリテンの時は沿岸攻撃に従事し、その後は練習機や標的曳航機として余生を過ごしました。
「切られ役」のバトルではありますが、しかし1940年5月に見せた敢闘精神は、真に敗北を愛でる英国人好みだと思います。なのでエアフィクスからの新キット発売を心待ちしているのですが…
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