さてこのパンサーですが、朝鮮戦争で活躍し名声を得ますが、開発には紆余曲折がありました。実はグラマンがベアキャットに続いて開発に取り組んだグラマン初のジェット戦闘機XF9F-1は、4発複座の夜間戦闘機でした。この案で米海軍の提案要求に応じるのですが、残念ながら双発複座のダグラス案(後のF3D-1
スカイナイト)に敗れます。しかし何が功を奏するかは、分からないものです。 |
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競争に敗れたグラマンの設計陣は、改めて単発単座の昼間戦闘機にチャレンジします。当時適当な米国製エンジンがなく、彼らが選んだのは、推力が5,000lbに達していたロールスロイスの ニーン・エンジンでした。モックアップ審査などを終え、XF9F-2が姿を現したのは1947年2月のことです。そしてその年の11月21日、グラマンのテストパイロットの手により初飛行が行われました。この試作機にはパンサーの特徴となる翼端タンクは付いていませんでした。その後、F9F-2として量産化されると翼端にタンクがつけられ、エンジンはP&Wがライセンス生産したニーン・エンジンに換装されます。 |