バイエルン社は継続してより高出力、単座の109型も設計しており、108型はその実証機として先に進空します。
ちなみにこの機体の主任設計者のロベルト・ルッサーはその後ハインケル社へ戻っていきます。(元々ハインケル社出身)
ウィリー・メッサーシュミットはどちらかというと設計者というより、会社経営の才覚があったようで当時のバイエルン社は倒産の危機にありましたが、これを回避し逆にドイツ航空省に入り込み109型を次機主力戦闘機として売り込みを成功させました。会社も自分の名前で改組します。(Bf⇒Meに) |
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それまでのドイツ空軍の主役ハインケル社は以降、爆撃機が主力生産のメーカーなっていきます。
(敗戦間際にキワモノのフォルクスイエーガーで戦闘機の生産にカムバックはしますが)メッサーシュミットはその後各種戦闘機を開発製造していきますが、109型ほどのヒット作は現れず、戦争末期でタービンエンジン搭載の262型で挽回(機体設計はルッサーの愛弟子)しますが、時すでに遅くドイツは崩壊していきます。 |