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誌上個展

<日本航空史>女性はとっくに翔んでいた
スカイダイバー・宮森美代子さん

  by 加藤 寛之
プラモデル コラム

 私の愛用書に、航空情報No.91臨時増刊『航空の基礎用語150』(昭和33年)がある。ここで選ばれた150の用語は、第二次世界大戦からセンチュリーシリーズくらいまでの時期のもので、私がよく作るプラモデルの時期に一致している。その時代の飛行機の形の意味するところが、この本で解説されていて、実に便利だ。さて、この本の72ページに「パラシュートは立派な航空機である」と書かれている。“ホントですか?”だが、今回は、昭和6年にパラシュートで飛び降りた女性の話である。  この女性を初めて知ったのは、『別冊一億人の昭和史 日本航空史』(昭和54年)p.140に、「当時日本で唯一の女性スカイダイバー宮森美代子さんを紹介する絵はがき」とキャプションを付したピンク地の絵葉書を見たときだ。ここに掲載したものと同じものだがそれだけのことで、気にもしなかった。




 航空史の資料を集めるようになってから、偶然に出所不明の雑誌の切り抜きを手に入れた。それが手を上げて応える、もうひとつの掲載写真だ。出所は今もわからないのだが、これはお許しいただきたい。

 宮森さんは、福島県の会津若松の方のようだ。昭和6年の「福島民報」や「福島民友」に彼女がパラシュートで飛び降りた記事が載っている。
ちゃんとまとめてある『会津女性人物事典』(歴史春秋出版社、平成4年)も利用して概説すると、昭和6年3月6日に千葉県津田沼の伊藤飛行場から黄色いサルムソン機に乗り、高度500mから飛び降りて谷津遊園の先の砂地に着地、見事に成功した。これは国産パラシュート製造にあたって、まず自分で飛んでみなければ、と試験をしたものだった。そのとき18歳というから、数え歳だと思うので、今日ならば高校2年生くらいだ。 




 戦前の日本は現代よりもはるかに男尊女卑的な時代ではあったのだろうが、空への進出に女性は遅れていなかったように思う。空を飛べる男性がごく僅かだったころに、ほぼ同時に女性も進出している。本Web誌連載の初めのころに朴敬元さんや上野艶子さんといった女性飛行士をとりあげたのも、その驚きが理由だ。 日本の初期の女性飛行士については、前掲『別冊一億人の昭和史 日本航空史』に何人も紹介されており、松村由利子『お嬢さん、空を飛ぶ』(NTT出版、2013年)には日本の女性飛行士誕生に大きな影響を与えたキャサリン・スチンソンさんをはじめ数人の女性飛行士を、女性の社会進出の視点から紹介している。宮森美代子さんに限れば、福島県立図書館の利用がお薦めだ。
 女性はとっくに翔んでいた。



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