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特集 メッサーVS飛燕

(Photo)戦後のメッサーシュミット教授と土井教授

by  コルディッツ
博物館実機写真

 WWⅡ敗北後のドイツと日本の航空産業は壊滅、占領軍による航空機禁止政策もあり、航空機設計者の仕事が無くなります。メッサーシュミット教授はバブルカーと呼ばれた三輪自動車を開発・製造しながら、規制の及ばないスペインに移って、ジェット機の開発を再開します。  飛燕の設計者だった土井武夫教授は、川崎航空機を退き不遇の日々を送りますが、禁止令解除後は川崎に戻って、YS-11の基礎設計に従事し、航空業界に復帰を果たしました。
 今回はWWⅡを代表する名戦闘機を設計した二人の設計者の、戦後の作品を紹介させていただきます。


 メッサーシュミットKR200
 トヨタ博物館(長久手市、愛知県)にて      2018年2月撮影
 Bf109をそのまま車にした印象です。前方二輪の三輪車で、ヒコーキ製造技術を生かした軽量ボディに、小型2サイクルエンジンを搭載したタンデム 複座のバブルカーです。後進はエンジン逆回転と知り、驚きました。





 Hispano Aviacion H.A.200R1 Saeta  XE.14-2
 スペイン空軍博物館(クワトロ・ビエントス、マドリッド郊外)にて 2004年10月撮影
 メッサーシュミットはフランコ政権下のスペインに移住し、イスパノ・アビエーション社を立ち上げ、スペイン最初のジェット機H.A.200を開発、製造します。
タンデム複座の練習機としてスペインとエジプトで運用されました。



Hispano Aviacion H.A220 Super Saeta A-10C-91/214-91
 スペイン空軍博物館にて         2004年10月撮影
 H.A.200から派生した単座の地上攻撃機で、スペイン空軍向けに25機生産されました。



Hispano Aviacion HA300  51-100
 ドイツ博物館航空機別館(オーバーシュトラスヘイム)にて 2011年5月撮影
 スペイン空軍がマッハ1.5級の小型迎撃戦闘機を必要としたので、開発が始まり、エジプトがプロジェクトを買い上げ、エジプト国産戦闘機として完成させました。
メッサーシュミット率いる設計チームは、エジプトのヘルワン(都市名)に招かれ開発を続けました。3機製造しましたが、エジプトはソ連のより優秀なジェット戦闘機を導入する事になり、開発は中止されました。





     YS-11
 YS11には一度だけ乗ったことがあります。
確かエアーニッポンで、丘珠から稚内まででしたが、足元が広くて楽だった印象です。
 三沢航空科学館(三沢市)にて           2006年2月撮影
 YS-11A-500 JA8776 日本エアーコミューター機、以前は東亜国内航空の「しれとこ号」でした。



かがみはら航空宇宙博物館(各務原市)にて  2013年9月撮影
 YS-11-500R JA8731 エアーニッポン機。量産第99機目とのことです。



あいち航空ミュージアム(豊山町)にて      2017年12月撮影
 YS-11P 52-1152 航空自衛隊のVIP機でした。



川崎 P-2J
 川崎重工はロッキードP2V-7対潜哨戒機をライセンス生産していましたが、
ソ連の原子力潜水艦に対抗するため、独自に発展させました。1966年にP2V-7を改造した機体が初飛行し、P-2Jとなりました。改造はエンジンをレシプロからターボプロップに替え、補助ジェットエンジン、対潜機器も新型に転換。垂直尾翼の形状変更、主車輪変更、胴体1.3m延長等との由。
 かがみはら航空宇宙博物館(各務原市)にて  2013年9月撮影
 P-2J 4782号機



海上自衛隊鹿屋航空基地史料館(鹿屋市)にて  2012年10月撮影
 P-2J 4783号機 最終生産機とのことです。




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