西﨑キクさんの業績は、埼玉県の上里町にある上里町男女共同参画推進センターに展示コーナーとしてまとめられている。何枚もの写真パネルと「教壇から大空へ、そして大地へ」を題したリーフレットが用意されている。リーフレットによれば、奨学金を得て進学、小学校教師となったが、昭和6年に辞して飛行学校に入学、昭和8年に二等飛行機操縦士の免許を取得している。当時、女性が取得できる免許は二等飛行機操縦士が上限だった。郷土訪問飛行では13式水上機で利根川に着水。教え子から「今日の先生は最高に素敵だったよ!やれば出来るんだね。僕たちも頑張らなくちゃ」と言われたとある。 |
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昭和9年には満州訪問飛行を達成、パリにある国際航空連盟からハーモン・トロフィ-賞と終身会員証31号が贈られたそうだ。その後、樺太への飛行は津軽海峡までで断念。国情が変わった昭和13年には満州の開拓へ入植、敗戦で帰国後には再び教職に戻り小学校教頭にまでなった。その後に農業に生きる道を選び、こちらでも農林大臣賞を受賞したという。昭和51年放送のNHK朝の連ドラ「雲のじゅうたん」では、物語を構成するモデルの一人となっている。 |