世界初のジェット旅客機デ・ハビランド DH.106 コメットの初飛行は、1949年7月27日でした。コメットの歴史は大英帝国盛衰史と被るようで、英国贔屓の私には辛いですが、現在の日本も似ているような気がしています。第二次世界大戦後も民間航空をリードしたい英国政府(当時はチャーチル政権)は、
大戦中にブラバゾン委員会を立ち上げ、戦後必要になるであろう4つのタイプの民間機を提示します。このうち大西洋横断可能な「ジェット郵便輸送機」案がコメットの原案です。これに対しデ・ハビランド社は郵便ではなく旅客を運ぶ「ジェット旅客機」開発を表明しました。これが国家的プロジェクトになり、アメリカに先駆けてジェット旅客機開発に進みます。
しかし既にアメリカはボーイングB47ジェット爆撃機開発に成功していたので、コメット開発は時間との勝負になります。高性能のエンジン開発を待てず、低性能覚悟で遠心式ジェットエンジン「ゴースト」を装備、主翼も緩後退翼で妥協しました。その結果が世界最初のジェット旅客機誕生で、航続力が短く、
乗客定員が少ない(36人)等のデメリットよりも、高高度を高速で飛行するメリットは大きく、初年度の1952年は英国海外航空(BOAC)運航だけなのに、3万人を運び大成功でした。 |
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しかし1954年1月と5月に空中分解事故が発生、コメットは運行停止になります。水槽実験で原因は金属疲労と判明し、その成果は以後の旅客機開発に貢献しましたが、コメットとイギリスにとって高い授業料でした。安全対策を取り入れたコメット4のロンドン~ニューヨーク路線就航は、4年後の1958年10月4日になってしまいました。4型の乗客定員は56人に増えていますが、同年10月26日にニューヨーク~パリ路線に就航したボーイング707の乗客定員は110人でした。以降のコメットは後発の大型機707やダグラスDC-8 との競争に敗れて、引退を余儀なくされました。
小学生の頃からコメットに興味がありましたが、お目にかかる機会はなく、初めて見たのはダックスフォードで、当時野外展示されていた機体です。
出会いまでが長かったせいか、ひどく懐かしい気分でした。 |