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誌上個展

<日本航空史> T-33 傑作誕生

  by 加藤 寛之
プラモデル コラム

 原型のF-80が対日戦に投入されたら、烈風や紫電改ではどうにもならなかったと思う。その複座練習機型がT-33で、ジェット時代初期の傑作練習機であることを認めない人はいないだろう。自衛隊の愛称は「若鷹」というが、私は子供のときから使ったことがない。「シューテングスター」だった。まあ、F-104「栄光」やC-46「天馬」も使ったことはないが。  小学生のころに航空自衛隊入間基地の航空祭に行くと、T-33は必ず展示してあった。高校生のときには通学の西武池袋線から基地内がよく見えた。滑走路の向こう側に用廃になったT-33が何機か放置されて並んでいたときには、上反角が強い飛行機だと再認識した。今となっては懐かしい記憶だ。日本国内でもライセンスを得て210機を造ったというから大量産機で、おかげで博物館や屋外で展示機に出会う機会もあり、これまた懐かしい。



 さて、「傑作誕生」だが、これは長谷川製作所のT-33 1/72キットの話。『プラモ・ガイド 1970』の「すいせんキット(国産)」ページに紹介されているから、1969年発売だったのだろう。同誌の広告には、フジミの1/50 F-4EファントムⅡ、タミヤ1/100 B-52、日東1/100 コンコルド、面白いところでは再生マルサンの1/32 零戦52型丙もある。これはネジ1本で組み立て分解できるアクションを組み込んだレベル1/32 零戦にソックリな外観のキットで、後にエルエスが引き取って販売した。
そんな時代に、ハセガワのT-33は100円でこの世に生まれた。キット紹介のグラビアページでは「本年度版プラモ・ガイドの中ですいせんできる、最も安価なキット」と絶賛。本文では、「構成部品の数もあまり多くなく、しかも各部のハメあいをキッチリさせて、初心者にも簡単に組み立てられるよう、細かく神経を配っている」「世界中のどこへだしてもはずかしくないだけの実力をもったキット」と大々絶賛だ。当時、傑作の要件に「簡単」「初心者」があったことも明瞭で、もちろん100円は安かった。



 私も「いいキットだ」と思ったが、ジェット機だし、銀色を塗る自信がなかった。F-80への改造もしたかったが、風防を作る自信がなかった。
それでもついに購入して、F-80に改造したことを覚えている。風防は他のキットのパーツを使ったのだろうが、何であったのか覚えていない。



 ハセガワのT-33が生産休止になって久しい。そのころに買ったキットのうち1個は作った。生産休止のころは、主翼が薄いとか、凸線だとか、合わせが良くないとか、脚が貧弱だとか、まあいろいろと言われるようになったが、そんなこと全然関係ない、私には傑作キットとして紹介された印象のままである。
そのうちに、また作ろうと思う。メーカーの熱い思いが詰まったキットは、いつになっても作って楽しいのだ。銀色塗装がうまくなったわけでもないが、“うまく塗らないと恥ずかしい”と思わなくなったことは大きい。もう、大丈夫なのだ。



 写真は、子供のころに入間基地の地上展示を撮った1枚と、入手した写真3枚。 ボケているが翼端タンクを付けないで飛行中の姿は珍しい。


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