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誌上個展

<日本航空史> 長岡のパンプキン爆弾と名立海岸の機雷

  by 加藤 寛之
プラモデル コラム

 ローマ法王が来日して、長崎と広島を訪問した。今回は、それに影響されて書いた。
 新潟県の長岡市へ行く機会があり、その際に「パンプキン爆弾」という模擬原子爆弾投下地点の碑があることを知った。これは長崎へ落とされた通称ファットマンという丸い形の原子爆弾と同じ外形のもので、どうやら落下特性の確認用だったらしい。模擬とはいっても大型爆弾そのもので、それが昭和20年7月20日朝に長岡へ投下され、犠牲者がでたのだそうだ。
家に帰り簡単に調べてみると全国各地に50発近く投下されたそうで、東京でも大泉学園とか西東京市辺りに10発も投下されたとあった。原爆投下は、ナガサキ、ヒロシマだけの出来事ではなかったのだ。長岡市は大空襲を経験しておりそれを伝える行動をしている。パンプキン爆弾は長岡市に碑があったからこそ、私も知ることができた。碑のある場所は主要道路ではない橋のたもとだが、駐車場はない。模擬原爆というから、落とした飛行機はたぶんB-29であろう。







 同じ新潟県だが、海岸沿いの名立にある道の駅に行ったときに、そこから見える漁港に祠を見つけた。漁の安全を祈るものかと思い、見にいった。それは漂着した機雷の爆発によって亡くなったたくさんの子供を含む63人を祀ったものだった。事件は終戦から4年も過ぎた昭和24年3月30日に起こったのだそうだ。祠には、犠牲になった方々の名があった。そこには、新しいペット飲料が供えられていた。名立では戦争の記憶が今日に伝えられているのだ。 終戦前、米軍は日本を囲む海へたくさんの機雷を投下していたそうだ。これもB-29が落としたのだろうか。だが日本軍も機雷敷設を行っておりソ連からの漂着もあったようで、名立で爆発した機雷の来歴は分らなかったらしい。破片の一部は近くのお寺に保存されているようで成分分析をすれば製造元を探ることは出来そうだが、その意味はないだろう。
 B-29も大型爆弾も機雷も機械だから、それ自身に何か思いがあるわけではない。航空史は機械の歴史ではなく人の歴史であり、何が起こったのかも人が伝えることである。








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