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誌上個展

<日本航空史> T-2CCV研究機

  by 加藤 寛之
プラモデル コラム

 YF-16のCCV改造機は原型機の美しい塗装にカナードを装備したのもだから、未来の飛行機のようで超カッコよかった。T-2のCCV研究機も、完成時の雑誌写真を見たときに負けず劣らずイイカンジだと思った。私のプラモデル改造心がうずいたが、幸いにもハセガワがT-2の72キットにパーツとデカールを付けて発売してくれた。 “限定生産だろう”と思って購入したが、人気があるらしくしばらく販売を続けていたし、その後も再発売している。よって、今でもそれほど入手困難ではない。こうなるとむしろ、デカールの経年劣化が気になる。当然、ハセガワは48でもキット化したが、そのときの私は急いで買うことをしなかった。



 CCV研究機を大雑把にいえば、安定して飛行する設計の飛行機を「改造パーツ」で不安定にする。安定性が悪いのだから、うまく制御すれば機動性が高くなるわけだ。最初から安定性を低く飛行機を設計すれば、こんな改造パーツはいらない。  そのころの説明では、安定性に必要な尾翼などは小さくできると書いてあるが、その後に開発された戦闘機の尾翼はかなり広いと思う。こういったことは、プラモデル程度の知識しかない私にはわからない。



 T-2CCV研究機がカナードを付けて初飛行したのは、1984年10月14日だそうだ。離陸した途端、右に左にゆれを繰り返し機首も持ち上げて、墜落寸前だった。数秒後に安定を回復、上昇して行った。この飛行の様子はニュースで流れたそうだが、実はそのとき私は見過ごしていて話を聞いて知った。今ではYoutubeの投稿動画で見ることができる。その映像をみると、引っ込めた脚をまた出したことがわかる。戦時中の飛行士の記事には、何かをして異常が生じたときは、異常発生の前の状態に戻すのだと書いてある。 このとき脚を出したのは、「元に戻した」のだろう。さらにそのとき、パイロットは挙動を抑えるためにシステムを切ったらしい。すばらしい技量だと思う。
『航空ファン』1984年1月号によれば、「フライ・バイ・ワイヤシステムの故障」とあるが、「フライ・バイ・ワイヤ」は電気式操縦装置のことだから、「フライ・バイ・ワイヤ」がダメならその後にも飛べない。制御する「システム」の方に問題があったのだろう。



 T-2CCV研究機の実機は岐阜かかみがはら航空宇宙博物館にあって、見られた時は嬉しかった。よって写真は自分で撮ったものでなく、譲ってもらったもの。 自衛隊のCCV実験機はT-2が2機目で、その前にネプチューンの改造機P2V-7VSAがあった。


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