Home >(Photo) Narvik 1940<博物館実機写真<2020年10月号

 

(Photo) Narvik 1940

by  コルディッツ
博物館実機写真

 ドイツのラインラント=プファルツ州シュパイアー市に「技術博物館」があります。ドイツ国鉄のシュパイアー駅を下車、世界遺産のシュパイアー大聖堂経由で徒歩15分位です。博物館内には右翼のない Ju52/3mg4e が展示中で、その由来が分かりました。
 同機はナルビクで連合軍の包囲下にあるディートル将軍指揮下の独軍地上部隊への補給を目的に、1940年4月にニューミンスターを離陸し、オスロ経由でナルビクに向かいます。ナルビク近郊のバルドゥフォス飛行場は連合軍が占領中のため、Ju52は結氷した湖に着陸して物資を下ろす片道飛行の計画でした。そして着陸後に氷は割れ、機体は水深75mまで水没します。1986年になって、機体がサルベージされ、同博物館の所蔵になった機体でした。

 博物館表示の概要は以上ですが、この一件に触れた日本語文献を探した処、ヒトラー崇拝者として有名なデビット・アービングの著作に記事を見つけました。アービングの著作を史料として使うのはリスキーですが、本件の記事は宣伝臭はないので、その内容を要約すると「孤立したディートル将軍指揮下の部隊に補給のため11機のJu52が山岳砲の部品を積んで、ハートヴィ湖に着陸したが、積み卸しが終わるか否かのうちに氷が溶けて11機全部が水没」です。(「ヒトラーの戦争」訳 赤羽龍夫 早川書房 1988年)
 後年のスターリングラードやチュニジアの戦闘は、ドイツ空軍による空輸が失敗して敗北に至りますが、実はナルビクの戦闘に於いても空輸作戦の損害は大きく、ドイツ軍の勝利は常に紙一重のような気がしてきました。

 Ju52/3mg4e  CA+JY ?
 技術博物館(シュパイアー)にて       2020年2月撮影








 何故か右胴体は「VB+JA」、左胴体は「CA+JY」に
なっています。「CA+JY」が適切なようですが、根拠は
不明です。




  後方の壁にぶら下がっているのはBf110の主翼です。
この機体は墜落地点のスウェーデンから帰還しました。








北極圏のナルビク港は不凍港で、スウェーデンのキルナで採掘される良質な鉄鉱石を、鉄道を通じて冬季に積み出す重要拠点でした。1940年4月9日に独海軍の駆逐艦10隻が侵入し、ノルウェー海軍の海防戦艦2隻を撃沈し、ディートル少将指揮の第139山岳猟兵連隊2,000名を上陸させ、ナルビクの無血占領に成功します。
しかし直後に英海軍艦艇は2回の殴り込みを行って、独駆逐艦を全艦撃沈しました。占領した南部ノルウェーからの陸路はなく、孤立したディートル部隊への補給問題はJu52の片道空輸しかありませんでした。
 撃沈された駆逐艦の生存者は2,000名くらいで、ディートルの地上部隊に吸収されました。
 1940年5月28日に連合軍(ノルウェー、フランス、イギリス、自由ポーランド)はナルビク市内を占領し、ディートルの部隊をスウェーデン国境沿いに追い詰めます。しかしフランス本土で連合軍は敗北し、ノルウェー派遣軍は6月8日に撤退します。
かくしてノルウェー全土はドイツ軍の支配下に置かれました。


  ナルビク戦のドイツ山岳猟兵と水兵のフィギュア
 軍事博物館(オスロ)にて          2012年8月撮影



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