Home  > <日本航空史> 月光「Gのナナバケ」>コラム>2020年11月号 

誌上個展

<日本航空史> 月光「Gのナナバケ」

  by 加藤 寛之
プラモデル コラム

 月光は、旧日本海軍機のなかでちょっと地味な飛行機だと思う。今回は、模型店「ワールドホビーショップはせがわ」さんのホームページに私がお借りして掲載している「日本機あれこれ」から抜粋し、再構成してまとめたい。煩雑さをさけるため、呼称は「月光」で統一する。



 『丸』昭和43年3月号ワイド特集「テストパイロットのすべて」に、こんな記事がある。月光の試作1号機は最高速度が270ノットであり、10ノット不足だったが失望しなかったという。「これ位なら飛行機を磨き上げるだけでも、解決できると信じたからである」。そうなると、月光の試作1号機はピカピカだった時があったことになる。試作段階の「月光」には、双発の一方に左廻りのプロペラを付けたことがある。日本は鍛造されたプロペラ素材を手仕事で薄く仕上げたらしいが、左廻りのプロペラの場合は手仕事も左利きが必要なのだそうで、量産化するとなったら大変だったようだ。これは北川佳男「プロペラ生産の思い出」『世界の航空機』1953年3月号にある。量産機が同一方向回転になったのには、そんな理由があったのかもしれない。



 月光はなかなか制式になれず、「Gのナナバケ」と悪口されるほど改造を重ねたといわれている。だが月光(初期)設計者中村勝治氏は『丸』昭和33年4月号で、「銃がなくて、戦闘機としての実用性なしと判定されたのだが、」「速度は早いし、航続距離は長いし、強度はあり余っているのだから、他の機種へなら、偵察機にだって、爆撃機にだって、何にでも使えそうな気がした」と述懐している。万能を要求した軍に精一杯応えた想いがあったのだろう。



 月光の英雄といえば、倉本・黒鳥組の「ヨ-101」機だろう。後述『世界の傑作機』p.33下、p.64上に掲載の機体だ。模型的には塗装図が気になるが、これがいろいろあって、モデルアート臨時増刊『海軍航空英雄列伝』、『世界の傑作機 海軍夜間戦闘機月光』新版No.57、さらに『航空ファン』1975年5月号には倉本氏本人への取材による投稿図がある。3図とも細部に相違がある。倉本氏によれば主翼下面は明灰色で、スピンンナーはカウリングと同じ黒、撃墜破マークは白縁つきで、矢は赤、羽は黄。日の丸は通常より前にあり、機首窓は塞がれていたそうだ。倉本氏による図も実機写真と少し異なるのだが、本人の記憶は貴重である。黒鳥氏も語っている。『世界の傑作機』旧版№44「彗星」にあって、「全体的に濃緑色で塗装され、上方には20mm機銃が3挺取り付けてある。」「機首には八木式アンテナが4本装備され、さらに胴体下部より突き出ている棒状のアンテナは、電波発信機のアンテナである。エンジンよりの排気管は、少し長目の消炎排気装置になっている」とある。また、月光の夜戦改造では「機首にある窓は、下方よりの探照燈等で幻惑されるため、これをふさぎ、座席を3座から2座とした。」とある。ここにも倉本氏と異なる説明がある。その理由は分からない。



 最後は下向き銃。月光の下向銃を使うためには、相手の後上方に位置することになる。何でこんなに敵から丸見え位置でも役に立ったのか。『丸』昭和33年4月号には、次のようにある。「三番三号という空中爆弾を…持ってきて、それを使ってB17の上にあがって落とした。…ところが、今度は向こうが覚えた。上にのっかるとサッと編隊をといてしまう。…そこで考えついて、月光に銃を下向けに斜めにつけた。」「そしてまた上へ上がって行くと、向こうはまた爆弾だと思うから、編隊をといて少し離れて行くんですね。ところが、斜め銃がついているもんだから、いい具合にバタバタやっちゃって、それでまたしばらく落した。」
 どうでしょう、月光の印象は変わりましたか?



  Home ><日本航空史> 月光「Gのナナバケ」>コラム>2020年11月号

Vol.147 2020 November.   www.webmodelers.com /Office webmodelers all right reserved / editor Hiromichi Taguchi
                  田口博通 / 無断転載を禁ず/  リンクフリー
「webモデラーズ について」 「広告のご出稿について」

プラモデル模型製作記事


TOTAL PAGE