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誌上個展

<日本航空史> グラーデ式と日野熊蔵氏

  by 加藤 寛之
プラモデル コラム



 何しろグラーデ式は、日本初飛行のアンリ・ファルマン機に続いて飛行が認定された有名機。日本初飛行の栄誉に認定された徳川氏の著書『日本航空事始』(協同出版社、昭和39年)には書かれていないが、『日本航空機辞典 上巻』(モデルアート社、1983年)には、練習中にファルマン機よりも先にグラーデ機が飛んだことが書いてある。これは『日本航空史 明治・大正編』(昭和31年)に書いてあることを引用したものだろう。飛んだといってもそれではダメ。たとえばスポーツの記録が練習試合の値では未公認で、公式試合の記録が正式であることと同じだ。それでも『日本航空史 明治・大正編』は、日野氏とグラーデ機の飛行を「徳川大尉とともに輝かしい記録として不滅の歴史を刻み」と等しくたたえている。



 グラーデ式は、飛行機を研究自作(飛翔せず)していた日野氏が研究を中断して訪欧の任をうけ、予定通りに購入したものだった。形状説明に「一層式」とあって、単葉とは呼称していなかった。
 掲載のグラーデ式の3枚はすべて絵葉書で、絵葉書の形式をみると明治40年から大正7年までのもの。グラーデ機は明治43年末の飛行の翌44年4月には墜落して終わったというから、飛行機館とある建物内に吊られているグラーデ機は、墜落後に形状復元されたことになる。この写真の直前の状態が、『日本航空機辞典 上巻』にある。こちらの写真ではまだ吊られてなく、後ろの説明文も途中までしか書いてない。機体を見るとプロペラが安っぽく、別のもので代用した感じだ。



  グラーデ機にはエルロンがなく、翼をねじって操縦する。ライト兄弟の飛行機もそうだし、有名なブレリオ機もそう。エルロンだって発明品なのだ。エルロンには特許権がからんだ面白い話があるようだが、これは日本航空史の範疇外。  



 さて日野氏だが、グラーデ機が壊れた明治44年に、8月には自作の第2号機で飛翔を試みている。それが4枚目の絵葉書の写真で、装着したエンジンも自作らしい。撮られた場所は代々木練兵場だろう。日野氏はその後、あまりにも研究熱心すぎて軍にいられなくなったそうだが、後日談も実は凄い。



 現在、代々木公園には日本航空発始之碑に並んで徳川氏と日野氏の胸像がある。 


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