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 (Photo) Katyusha

by  コルディッツ
博物館実機写真

 1938年に開発が始まった多連装ロケット砲システムーRS-82とRS-132ロケット弾の発射機をZIS-6 6輪トラックに設置するーを、赤軍に配備することが決定したのは1941年6月21日でした。
RSはロケット弾の略語、82と132の数字はロケット弾体の直径をメートル法のmmで表しています。決定の翌日にドイツ軍のソ連侵攻が始まったので、大祖国戦争にギリギリ間に合いました。
実戦投入は同年7月14日で、NKVD所属のイワン・フレロフ大尉指揮の実験砲兵隊が、ドイツ軍の占領したモスクワの西500kmに位置する交通の要衝オルシャを132mmBM-13ロケット砲で攻撃し、効果大と評価され量産されます。(BMは戦闘自動車の略語、なお最初の投入は82mmBM-82とする説もあります)
 多連装ロケット砲部隊の存在は最高機密とされ、部隊は親衛迫撃砲連隊と呼ばれました。そのためか同年10月にフレロフ大尉の部隊はヴャジマ市で包囲され、文字通り全滅しますが、その前に兵器を完全に破壊し、ドイツ軍に新兵器の情報を与えませんでした。
 当時のロケット兵器の欠点ー有効射程距離の短さと命中精度の悪さーはありますが、量産性の高さとレンドリースで導入の米国製スチュードベーカー・トラックに搭載した高い機動性、枢軸軍将兵に与える衝撃の効果は絶大で、ソ連の大祖国戦争のシンボルとなり、赤軍将兵からも愛され「カチューシャ」の非公式愛称で呼ばれました。
※ 本稿はWeb site ロシア・ビヨンドを参照しました。 

132mm BM-13 
 軍事博物館(ワルシャワ)にて      2009年4月撮影
 私が「カチューシャ」を意識して撮影したのはワルシャワが
初めてでした。当時はSDカードの容量が少なくて参りました。


ドイツーロシア博物館(カールホルスト,ベルリン)にて
2014年8月撮影


ドイツーロシア博物館は元々ドイツ国防軍の工兵学校兵舎で、
1945年5月8日にドイツ軍の降伏調印式が行われました。その後
ソ連が設置した独ソ戦の博物館です。館内は撮影禁止(当時)
で、建物の脇と裏には赤軍のカチューシャなど地上兵器が展示
されていました。


トラック運転席に設置された装甲板。ロケット弾発射薬の燃え
かすや爆風から守るためです。


兵員の座席


ロケットランチャーの基部




ロケット弾は8本のレールの上下に取り付けます。合計16発の
132mmロケット弾が短時間に集中的に発射されます。その威力は
重砲並みで、航跡雲をほとんど残さないように設計されていた
ため、反撃が困難でした。





ドイツ軍は「スターリンのオルガン」と呼び、赤軍将兵は
「カチューシャ」と呼びました。カチューシャの由来はやはり
1938年に作詞作曲された流行歌「カチューシャ」から、或いは
兵器のフレームに生産工場の頭文字「K」が書かれていた等、
諸説あります。因みにその工場の名称は「コミンテルン」で、
ヴォロネジにあり、キリル文字の頭文字は「K」に当ります。
 YouTubeでロシア人製作の「カチューシャ」のビデオを拝見
すると、歌い手の多くは赤軍女性兵士のコスチュームをまとい、
時にはBM-13を背景にして歌うので、戦時流行歌説に一票を投じ
たくなります。そう言えばプラウダ高校生も歌ってましたね。

中国人民革命軍事事博物館(北京)にて    2019年4月撮影


16発のロケット弾(たぶんレプリカ)が装着された状態で展示されていました。



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Vol.154  2021 June.    www.webmodelers.com /Office webmodelers all right reserved /
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