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誌上個展

<日本航空史> MU-2はV-22オスプレイに進化した

  by 加藤 寛之
プラモデル コラム



 たびたび書くが、私は米軍横田基地の離着陸ルートの下でちょっと横に住んでいる。本当にはっきりと、飛んでいる機体を眺められる。今はその多くが輸送機で、たいていは各種の旅客機タイプやグローブマスターⅢ、ときどきギャラクシー、小型の連絡機だが、F-16やF-18もたまに飛ぶ。V-22オスプレイはよく飛んでいる飛行機の一つで、夕方から夜にだいたい2機一組でバタバタと着陸してくる。大きな音なので、聞けばわかる。平日に飛ぶのは毎度のことで、今では全然珍しくない飛行機として我が家の上空、つまり日本の空を飛んでいる。



  この方式で飛ぶ飛行機の開発と量産配備にはとても長い時間を要している。
酣燈社『最新航空用語150』(1989年)の「ティルトローター機」項によれば、ベルエアクラフトがXV-3実験機に着手したのが始まりで、同機の初飛行は1955年、転換飛行成功が1958年だった。
これに基づいて、XV-15実験機がNASAとの契約で2機造られた。XV-15の1号機浮揚は1977年5月というから、40年以上も前のこと。遷移飛行には1979年に成功した。その後10年ほどで800時間以上のテスト飛行を重ね、最大速度596km/h、航続距離2770kmを記録したそうだ。
注目は、XV-15がパーツ流用というプラモデル的な造り方だったこと。胴体は、三菱MU-2Jなのだという。言われても、とてもそんなふうに思えない。足回りも手直しして使ったというし、当初は垂直尾翼・水平尾翼までも流用するつもりだったらしい。



  実験機をプラモデルのようにパーツ流用で造ることはよくあって、アメリカの例では、垂直離着陸機XFV-12の場合、機首と主脚辺りはスカイホーク、エアインテーク付近はファントムⅡ(ついに飛行せず)だという。前進翼実験機X-29も前胴はフリーダムファイター(1984年初飛行)らしい。XV-15の実機は2機造ったというから、MU-2も2機使ったのだろう。掲載写真の塗装のほかに、上側面を灰緑?色にした軍用っぽい塗装で空母運用テスト中らしい写真もよく見る。
この実績をうけ、V-22オスプレイは1983年に開発が始まり、1989年3月に初飛行した



 2枚掲載のXV-15の写真は、今から10数年前に古本屋で入手したもの。A4版くらいの大きさだ。オスプレイの写真は、数年前に横田基地のオープンハウスで撮ったもの。空ばかりの1枚は我が家の上空を飛ぶオスプレイ。 



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