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(Photo) カタリナ事件

by  コルディッツ
博物館実機写真

 1952年6月13日、スウェーデン空軍の運用するDC-3(TP79)が8名の乗員を乗せブロンマ空港を離陸、2時間後に交信が途絶え、バルト海で行方方不明になりました。捜索活動が開始されますが、6月15日に捜索活動中のスウェーデン空軍のPBY-5カタリナ(TP47) が、ソ連空軍のMiG-15bisに撃墜されます。機体は海没しますが、5人の乗員は全員救助されました。この一連の事件は機名カタリナから「カタリナ事件」と呼ばれます。DC-3は消息不明のままで、搭載した救命ボートが発見されます。スウェーデンは飛行目的について航法訓練と説明し、ソ連はDC-3への関与を否定します。
 しかし真の飛行目的は、米英に協力するスウェーデンの対ソ連シギント活動ースパイ活動でした。一方ソ連もMiG-15bisに撃墜させていましたが、公表しませんでした。時は東西冷戦の最中、朝鮮半島では熱戦が繰り広げられ、共産圏の指導者スターリンは健在と、欧州も一触即発の状況にあり、真相は闇に葬られました。
 1953年のスターリン死去後に、ソ連はスウェーデンにDC-3撃墜を密かに認めます。そして20世紀中にスウェーデンもスパイ活動を認めました。2003年にスウェーデンの民間人がソナーを使ってDC-3とPBY-5の海没地点を発見し、翌年にDC-3が引き揚げらられ、現在その残骸はスウェーデン空軍博物館に展示されています。
※ 本稿はスウェーデン空軍博物館の英文ガイドブックを参照しました。

  撃墜されたDC-3(TP79)の同型機    以下2014年6月撮影
 スウェーデン空軍博物館(リンシェーピン郊外)にて


 博物館の屋外展示されているのは TP79007です。撃墜された
DC-3はTP79001です。スウェーデン空軍はTP79と命名した8機の
DC-3を運用していました。


 MiG-15bisによる撃墜状況の説明図。
 撃墜されたPBY-5A(TP47)の同型機


   スウェーデン空軍は3機のPBY-5AをTP47と命名し、捜索、救助、救急飛行、偵察に使用しました。展示機体は 47001、撃墜された機体は 47002 です。


   撃墜したMiG-15bisの同型機 


   スウェーデン空軍博物館ガイドブックのMiG-15の紹介は、中々ユニークです。「ミグ15は重武装で、爆撃機との戦闘用に設計されていた。同様のスウェーデンのJ29「空飛ぶ樽」やアメリカのF-86セイバーは、3機ともドイツのメッサーシュミットMe P.1101戦闘機ー1度も飛行しなかったーの設計をベースにしているのは一目瞭然である」。


   博物館展示のMiG-15bisは、ポーランドから入手したポーランド製造の同型機Lim-2 を1952年当時のソ連空軍の塗装に改めた物。
 スウェーデン空軍博物館のポリシーは、スウェーデン空軍の使用した機体を展示することですが、当展示機は唯一の例外です。


 撃墜されたDC-3(TP79001)の残骸



 撃墜されたDC-3(TP79001)の1/12のモデル


   8名の乗員は、3名のスウェーデン空軍兵士(操縦士、航法士、航空機関士)と5名のスウェーデン国防電波局所属のシギント要員で構成されていました。
 敢えてMiG-15bisを入手し、カタリナ事件の展示をするなど、スウェーデンの1国武装中立政策も気合いが入っていると感心します。とは言え、東西冷戦期もかなり米英寄りだったのは本事件で分かりますし、それを知るソ連のーそして現ロシアの西側への警戒心の強さも、分かるような気がします。




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