フィアットG.50は1936年に発表されたイタリア空軍のR計画(イタリア初の全金属製・単葉・引込脚の戦闘機を求める)に応じて開発されました。初飛行は1937年2月26日だそうで、日本の零戦より2年ちょっと早いですね。
1939年11月にソ連がフィンランドに突如侵攻した冬戦争で、戦闘機の調達に窮したフィンランドが何とか確保したのが35機のフィアットG.50。折からの欧州戦雲のおかげでフィンランドには なかなか届かず1940年6月からの継続戦争に間に合って戦力化できたそうです。
キットはフィンランド空軍第26戦隊の6番機として作りました。パイロットのオイヴァ・トゥオミネン准士官はG.50で23機を撃墜(通算では44機撃墜)のエースです。胴体側面のFA-26はフィアット社が発行した機番で第26戦隊の意味ではありません。尾翼の撃墜マークは白い縦棒が8本、そのほかに青い(白枠つき)縦棒や白枠だけや、長さが半分のものが描いてあります(細かい意味は不明)。
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