Home  > <日本航空史> キ100 五式戦>コラム>2026年5月号 

誌上個展

<日本航空史> キ100 五式戦

  by 加藤 寛之
プラモデル コラム
 キ100 五式戦は、いうなれば空冷エンジンのキ61だ。エンジン換装指示には通説と違う話もある。三式戦のエンジン換装である五式戦は、本当は「人目をぬすむようにして試作した空冷キ61の試作機3機」が好評で、「そこで航空本部もあわてて前から試作命令を出してあったような顔をし」たのだという(『回想の日本陸軍機』航空情報臨時増刊、昭和37年)。



  川崎航空機で五式戦の設計に携った小口富夫氏は、飛燕からの改修についての回想で、「胴体と主翼はそのままです。ただ多少どうしても、重心関係で変更することが必要だった。」「結局、胴体を少し前に出したような気がしますネ。…そうすると昇降舵、方向舵のアームが小さくなるので、面積をいくらか大きくして調整したと思います。首のスゲ変えというのは、首だけをかえるのじゃなくて、それにともなって胴体、翼などの付根がかわってくるとか、そういう改修はありましたけど……」と述べている(『航空ファン』1960年11月号)。胴体を少し前に出すことにはこんな記事がある。『航空ファン』1963年9月号に、五式戦の「量産過程において、重心がすこしうしろへよっていたためお尻の重いことがわかり、量産100号機あたりから一部設計変更して、エンジン架を10ミリ前方へ延長した」とある。「胴体を少し前に出した」とはこれのことか?でも、昇降舵、方向舵の面積をいくらか大きくして調整って、どこ?
 塗装については、こんな記事がある。
『航空ファン』1974年9月号に、ソリッドモデラーの長谷川一郎氏が、「木更津の陸上自衛隊の基地にある5式戦の残骸のように、デュラに直接暗緑をブーと吹き付けただけのオソマツなもので」と書いている。必然的に、塗装は剥がれやすかっただろう。五式戦の色は、上面を茶の強い暗緑色で塗装することが多かったようだ。それが茶色でなく暗緑色であることは、長谷川一郎氏が実機部品を観察して結論付けている。これは昭和20年4月7日に邀撃にあがって被弾、現在の埼玉県越谷市大吉地区の水田に墜落し、1972年に掘り出された五式戦甲、第113部隊所属の平馬康雄軍曹乗機のものらしい。アンテナ柱や舵面は銀色で下地塗装してあるそうだ。(旧版『世界の傑作機』No.137、『航空ファン』1981年5月号、朝日新聞2003年2月8日埼玉版)。1946年頃に米国で撮影された五式戦のカラー写真も、上面色は茶色でなく緑色に見える(旧版『世界の傑作機』No.36、『航空ファン』1966年11月号)が、雑誌のカラー印刷では色が再現できないので、まあ参考程度か。実際に戦争中に実機を見た方の記憶では、「暗緑色の塗装」(『航空ファン』1954年11月号)とか、「安い緑がかったコケみたいな色」(『航空情報』1965年4月号)とか表現している。
 川崎製機の機内色は黄土色っぽいと言われている。実際、米国で撮影された飛燕Ⅱ型のカラー写真にそれらしい色が確認できる(『航空ファン』1974年3月号)。ただし、上面色が茶の強い暗緑色といわれるように、機内色も簡単に結論づけてよいものかは疑問。『航空ファン』1967年12月号には、飛燕について「操縦席内部や脚カバー内側、フラップの内側部分は、筆者のみた範囲では緑系統であったが、それもいわゆるカーキ色(国防色)に近いものといえる色であった」とある。色の証言は一様でないし、川崎製機の機内色も「この色」とは決めにくい。
掲載写真は資料として購入したもの。


  Home  ><日本航空史> キ100 五式戦>コラム>2026年5月号

Amazon 各カテゴリー 検索へ
Amazonプラモデル 飛行機の検索へ
Amazonプラモデル ミリタリーの検索へ
Amazonプラモデル 車の検索へ
Amazonプラモデル 船の検索へ
Amazonプラモデル ガンダムの検索へ
Amazonプラモデル 工具・塗料・材料の検索へ
Amazon 本の検索へ

Vol.213 2026 May.    www.webmodelers.com /Office webmodelers all right reserved /
 editor Hiromichi Taguchi 田口博通 /無断転載を禁ず  リンクフリー
「webモデラーズ について」 「広告のご出稿について」

プラモデル模型製作記事


5月号 TOTAL PAGE view