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<日本航空史> C-5ギャラクシーと初飛来のころ
by
加藤 寛之
プラモデル コラム
私の家は、横田基地の離着陸ルートのほぼ下にある。私にとって日本の航空と米軍機に区別はない。
それはある日の朝のことだった。南の方の空から、つまり米軍横田基地の方から「ブオ~~~ン」と低く響くようなエンジン音が上昇してきた。…デカい、デカい、デカい飛行機が上昇してくる。C-5ギャラクシーを、私が初めて見た瞬間だ。
前の日だったか、前々日だったか、兄が着陸するC-5ギャラクシーを見ており、その巨大さと特異なエンジン音のことを話してくれていた。着陸したのだから、離陸で見られるんじゃないか…、そう考えていた最中の目撃だった。ただ、遠い日の記憶なので記憶がどれだけ正しいかどうかは分からないので、それがいつのことかを調べてみた。『航空ファン』1970年9月号に「来日したC-5Aギャラクシー」の記事があった。初飛来は1970年7月11日土曜日だった。兄と私が見たのは、その機体だったかもしれない。
C-5ギャラクシーがどんな飛行機かは、ネットで簡単に調べられるので書くことはやめたい。
C-5ギャラクシーは2026年にも頻繁に我が家の上空を飛んでおり、珍しい飛行機ではない。ただ、エンジン音は明らかに初期のことと違っていて、ずっと静かになっている(ように思う)。
上述の『航空ファン』1970年9月号にはC-5ギャラクシーの飛来と報道関係者への公開、「C -5ギャラクシーの全容」といった記事もあるが、ボーイングが747型ジャンボ・ジェットの広告も掲載されている。そこには「就航以来わずか6ケ月足らずの間に100万人のお客様を運びました」とある。軍用輸送機の受注に敗れたボーイングが旅客機のB747型を開発したことは周知のことだろう。日本航空も1970年4月に既に同型機を就航させていた。そのB747型は今でも輸送機タイプ(だろう)が頻繁に横田基地へ飛来している。森永製菓のエールチョコレート(1967年発売)のCMに言われるまでもなく、あいかわらず大きいことはいいことなのだ。
C-5ギャラクシーが初飛来したころの日本の航空界はどうだったのか。同『航空ファン』1970年9月号には先ごろ退役したC -1に関する記事があり、「航空自衛隊の新しい翼 XC-1ジェット輸送機」のタイトルで「本誌がでるころにはハンガーからその巨体をほこらしげにロ-ルアウトさせていることだろう」とある。ロッキードといいボーイングといい、そこにあるものはC-1であっても巨体と表現する日米間の格差だった。
プラモデルはというと、同号にはハセガワが「戦後最初の国産ジェット機FUJI T-1A」のキット新発売の広告を掲載している。こちらのキットもときどきのスポット生産のみで、定番商品から消えて久しい。
掲載写真は、塗装の変化が分かるように選んでみた。モノクロの2枚は資料として入手したもの、カラーは横田基地のオープンハウスで大人気の胴体内通り抜けの様子。
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