A3D-2(A-3B)は量産型艦上重攻撃機として164機が生産され、実戦配備されております。後に 85機が KA-3Bに、39機がEKA-3Bに改造されています。米海軍初のJET重攻撃機であるA-3は、当時の核爆弾のサイズ上、直径66インチ(1.676m)までを搭載する大型の爆弾倉を持つ、双発機として開発されております。
開発時に想定された唯一の任務は レッドボタンが押されると、敵地奥深くにある戦略目標に対し、敵地近くまで進出した空母から発艦し、戦略核攻撃を加えるという危ないウエポンシステムとして開発されたのであります。
初飛行は1952年。当初装備したJ40エンジンの信頼性が低く、初期テストに大変時間がかかっております。 |
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量産型A3D-1(A-3A) 38機はJ-57を2発装備して無事1955年(昭和30年)から納入開始され、改良型A3D-2(A-3B)は1956年から61年にかけて引き渡されました。要するに、スカイウォリァは昭和30年代の冷戦で活躍した飛行機なのであります。
A3D系列は長距離を侵攻する機種でありますが、以外なことに 副操縦装置を備えておらず、パイロットは1名で 侵攻から退避、着艦まで一人でこなします。重労働であります。コクピットは3人乗りで、前列左側がパイロット。右側が爆撃士です。後ろ向きに座っているのが、ナビゲーター兼ECMオペレーター兼ガンナーであります。実は初期型には尾部にリモコンの20mm連装機関砲が装備されていたのであります。お忙しいこと。 |
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A-3の実戦部隊配属は1956年から、大西洋VAH-1、太平洋VAH-2を皮切りに開始されております。日本にも 飛来しており、1968年の北朝鮮沖のプエブロ事件ではレンジャー、エンタープライズに搭載されて、よく厚木にも飛来していたそうです。 今から考えてみれば、事がこじれれば、戦術核で北朝鮮をたたくことを想定していたことがよくわかります。そうなれば、日本も無事では済まなかったことでありましょう。平和ボケ日本人は「知らぬが仏」ということでありましょうか。
大型の機体サイズを生かして、電子戦機にも発展し、ご隠居さんによれば NF印をつけた、ボンノムリチャードの VAQ-130のEKA-3Bも1970年に厚木に飛来したそうであります。 |