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コラム ”思い出のプラモ店めぐり” (その1) 

by 田口 博通 Hiromichi Taguchi        /
   
、最近 特に感じるのだが、近くのプラモデル店やおもちゃ屋が急速に姿を消してしまっている。
 私が現在住んでいる神奈川県湘南地区では、平塚市の「こみや」に続き、茅ヶ崎市の「HAL模型」が閉店したため、寒川町、海老名市を含め 3市1町には 一店もプラモ店が無いという状況になってしまった。
 地方でも同じような状況のようだ。県によっては、1店も無いという絶滅状態の県もあるようだ。静岡ホビーショーで 高松ニッパーズの方々とお会いした時に聞いた話では、私の郷里 高松でも同じような状況だそうで、プラモ店が無くなってしまい、プラモは通販で、塗料と接着剤はヤマダ電器でということになってしまったそうである。

 プラモ店の減少は子供のプラモ離れなど 原因は色々言われるが、一時ガンダムやミニ4駆で日本中が沸き、プラモ店に開店前から子供の行列ができたこともあったのだ。だから、子供が飛びつく商品さえあれば、プラモ店は繁盛するはずである。
 販売チェネルがどんどん減っていく、この状況を プラモ業界はどのように考えているのだろうか?
売り上げ額の減少を、商品の高額化や 2個入りキットなどの手段で凌ごうとするのは、なんとも逆方向だと思うのだが。 
 
 これでは坪在庫(店舗スペース1坪当たりの在庫金額)が増加して金利負担も増す。客数が減ることでも在庫回転率が低下しているのだから、 資本力のある電器メガストアはまだしも、資本力のない小店舗は ますます経営が成り立たなくなる。その結果、持ちこたえられなくなった小さいプラモ店がどんどん廃業していくのだ。また、コンビニ化した雑貨店や文具店には在庫回転率の悪い商品はおかれなくなる。メーカーは わかっているのだろうか? 
 皆様は どう思われるでしょうか? なんとか、我々の力で もう一度プラモデルに光をあて、どうにかできないものだろうか。

 さて、本題に戻り、昔は、プラモ専門店のはしごや、ホコリのたまっているような珍しいプラモを探して、おもちゃ屋や模型店をまわるのも楽しみの一つだった。また、プラモ店のショーウインドーの完成品を見てまわるのも おおいに刺激になったものだ。
今は店自体が少なくなり そういうショッピングが難しくなった。

 このコラムは 最初”プラモ店めぐりの楽しみ”という題で書き始めたのだが、今では それもかなわなくなったことに気づき、”思い出のプラモ店めぐり”へと題名を変更させていただいた。
 (その1) 「松島文具店の思い出」
 私の郷里は四国は高松市である。さぬきうどんで有名な風光明媚な のんびりとした四国の玄関口と言われた町だ。現在は 瀬戸大橋がかかっており、本州から車で渡れるようになったが、ちょいと前までは 連絡線かフェリーを使うのが普通で、高松に住んでいた頃は 本州は別世界だったのだ。
 新聞も本州から来るので、台風が来て、海が荒れると、朝の新聞の配達も遅れるなんてことが ままあった。

 初めてプラモデルの洗礼を受けたのは1960年代初頭の小学生の時。 小学校は当時、高校野球が強かった高松商業高校の近くの松島町というところにあった。
 バス通りから小道を50mほど入った行き止まりに、小学校の校門、その向かいに中学校の校門がある。その小道とバス通りの角に「松島文具店」と言ったと思うが、文具店があり、そこで、プラモデルを売っていた。当時は、文具店でプラモデルやライトプレーン、工作教材を売ることが一般的だったのだ。その店のウインドーにはタミヤの1/50メッキ零戦やイマイのサンダーバードのプラモが飾られており、店の前を必ず、小学生と中学生が通る訳だ。これ以上考えられないという 絶好の立地条件である。
 そんな訳だから、健康な男の子がプラモデルの洗礼を受けない訳がない。登校時、下校時、ショーウインドーのプラモを飽きもせず眺めているのだ。しかし、小遣いがあるわけではないから、月に一つ、50円、よくて100円のプラモを買うのがやっとで、それも 家に帰るとすぐ作ってしまう。イマイのサンダーバードやタミヤのモーター戦車は高嶺の花だ。特に欲しかったのは ”サブマリン707”だが、これをやっと手に入れたのは なんと40年後 21世紀のことだった。
 さて、どのメーカーだったか1/100くらいのP38を作った時は、マーキングデカールがついているのだが、使い方がわからず、マークの周りを紙ごと 切って、糊で貼り付けた。 恥ずかしい思い出である。 
 
 小学生5年生の時だったと思うが、お年玉でイマイのリモコンM4シャーマンを何とかGETした。
 意気揚々と作ったのだが、最後に動かす段になり、リモコンBOXのりん青銅の接点部品が一つ無いことに気がついた。
製作する前だったら、KITごと取り替えてもらうこともできたのだろうが、ほとんど作ってしまっていて 後の祭り。
このままでは動かない。

 それで、文具店の店主のおじいさんに相談したところ、銅板を金きりバサミで切って、その部品を自作してくれた。
 大変ありがたかったのだが、使ってみると、りん青銅板と違い、銅板ではやわらかいためリモコンボタンを押すとすぐ曲がってしまい、結局 よく動かなかった。

最初のリモコン戦車にして 失敗の苦い思い出である。
それからも、失敗は数限りなく続く。

この「松島文具店」は高校生くらいまではあったのが、今はもう無い。 以前は学校の近くには必ず、プラモデルも売っているような文具店があったものだが、今は ほとんど見かけない。小学生、中学生がプラモデルの洗礼を受けるチャンスが摘み取られている。淋しい限りである。


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