ハセガワのキットはA-7AコルセアⅡとして、今から42年前の1967年に発売されております。本場レベルが1968年発売ですからそれよりも1年早く、世界最初のモデル化であり、ハセガワの宣伝にも力が入っていたような記憶があります。
当時の世相はベトナム戦争の泥沼、真っ只中。コルセアⅡは米海軍おろしたての新鋭攻撃機でありました。日本ではまだ、資料に乏しい中をハセガワがリリースしたため、スタイルの疑問点もついてまわり、わかりやすい最大の欠点は機首レドームが太く、丸いという団子鼻でした。また、エアインテークのリップが薄く、立体感がなく、底が浅いのも気になりました。
コクピットは簡単なコの字シートとパイロットがついているのみの簡単なものでしたが、これは当時のプラモデルキットの標準がこんなものだったので、気にはなりませんでした。 |
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当初、A型の極初期型をモデライズしたため、垂直尾翼上の後方警戒アンテナのフィアリングは最初ついていませんでしたが、後に金型改修され追加されております。
不肖、助が、中学3年生で最初に作ったスケールもののジェット機がこのハセガワのA-7コルセアでありまして、個人的にはエポックメーキングなキットであります。舶来のレベルキットの入手など望むべくもなく、ハセガワのキットは当時どこでも入手でき、泥沼のベトナム戦争にトリップすることができる貴重なキットだったのであります。
それから数えると幾年か、今回製作したのは、3機目。数えてみますと、20年毎に1機製作している勘定になります。
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80年代でしたか、マイクロデカールのリリースに誘われるように、全飛行隊病にかかり、10機まとめて購入という暴挙に出ました。団子鼻はヤスリでざくっと削れば修正できるはず、コクピットは当時これまた売り出されたタミヤのプラ板を使えば、自作可能と夢は虹のかなたへと膨らんだのでございます。
しかして、結果は意気地なく、半分がまだキットのままでモスポールされており、後の半分は下のようなパテモリ修正の段階で矢折れ、放置されているのでありました。
フジミから80年代後半に新金型キットがリリースされた後、某所では、価値が見出せないキットとまでいわれた可哀想なハセガワキットであります。しかし、ところがどっこい、今回、完成してみますと、その佇まいは立派なもの。 現用航空機プラモデルを日本で確立しようと奮闘した当時のハセガワの熱意が伝わり、先人達の苦労が偲ばれます。 |