アメリカ合衆国は1963年に勃発した所謂「トンキン湾事件」以降北ベトナムへの空爆(ローリングサンダー)開始と共に大量の地上軍を南ベトナム軍への支援に導入した。
これに対して開放戦線側はゲリラ戦術を用いて米軍施設への夜襲を繰り返した。これに業を煮やした米軍当局は空からゲリラを掃討する為に名機C-47「グーニーバドー」の胴体左側に口径7.62ミリの銃身を6本束ねたGAU-2Aミニガンを3器搭載したAC-47「ガンシップ」を開発し毎夜襲撃してくる解放戦線の上空に投入し必殺のシャワーを浴びせた。
その姿はさながら火を吐くドラゴンの姿でありゲリラ側の士気を消沈させるには充分であった。
|
|
しかし対空火器が解放戦線側に装備され対抗処置を取ると元々非武装の輸送機であるAC-47に損失機が出始め さらにホーチンミールトでの輸送トラック攻撃には能力不足と感じられて
1967以降後継のAC-119「シャードゥ」に任務を譲り静かにその姿を消していった。
初めてベトナムでAC-47を見たパイロットは
「誰だ、こんなオンボロのスプーキー(亡霊)みたいな機体を持ってきたのは!」と呆れて発したスプーキーという言葉がこの機体に乗るパイロットの気持ちを良く代弁している(苦笑) |