1942年6月5日のミッドウェイ海戦において4隻の正規空母を一挙に失った日本海軍は、有事の際に海軍特設艦船への徴用を前提に建造助成金を交付し、優秀船舶に指定していた商船などを特設空母に改装した。1939年から南米航路の客船として就航していた大阪商船の「あるぜんちな丸」は、1942年12月に三菱長崎造船で空母への改造工事に着手し、商船のディーゼルエンジンでは速力不足とされて蒸気タービンに換装する大工事となる。1943年11月に完成し、基準排水量13,600トン、速力21ノット、160mの飛行甲板と艦戦18機と艦攻6機を搭載する空母「海鷹(かいよう)」として連合艦隊に編入された。 |
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南方への航空機輸送任務に就き、1944年3月から第1海上護衛隊に移り輸送船団の護衛に従事していたが、1945年3月に呉軍港でアメリカ海軍機の空襲を受けて左舷機関室に被弾、修理を受けて訓練目標艦となる。7月24日に機雷に触れて航行不能となり、駆逐艦「夕雲」に曳航されて別府港外に戻るが日の出海岸に係留中、再び空襲に会い大破着底して放棄され終戦後の1946年9月に解体された。カタパルトを装備していない日本の空母は艦載機の発艦に25ノット以上の艦速が必要条件だったが、商船改造空母は必要な速度を出せずアメリカの小型護衛空母のように十分な活躍ができなかった。 |