秋本実『日本飛行船物語』(光人社NF文庫、2007年)には、「宮城県牡鹿半島の金華山沖を飛行する「ツェッペリン伯号」の勇姿は昭和四年八月二十八日発行の『アサヒグラフ』第十三巻第九号に見開きで掲載されたが、今見てもほれぼれするような飛行船写真の傑作である」とある。それは本当に美しい写真なのだが、『アサヒグラフ』は版権が気になってここに紹介できない。
飛来した「ツェッペリン伯号」はそのまま東京上空へ向かった。飛行高度は600メートルほどだったという。今なら東京スカイツリーと並ぶ高さだ。秋本氏はその巨大さの表現に、国会議事堂より大きい銀色の巨体が浮いていたと書いているが、これは国会議事堂で仕事をした秋本氏ならではの表現で、私にはよくわからない。
|
|
建造時の空母加賀くらいともいうが、三段空母の加賀も見たことがない。宇宙戦艦ヤマトが東京上空に来たとでも想像するか。ただし飛び方は緩やかで、斉藤茂太氏は著書で「巨大な銀色の葉巻型の物体は左から右へゆったりと飛んでいった。飛んでいったというより滑っていったといった方がいいかも知れない」と書いている。「ツェッペリン伯号」は東京をぐるりと回って霞ヶ浦に戻り、そこに降りた。
掲載写真では、飛行船も格納庫も大きすぎてその巨大さが分りにくいが、下に小さくたくさんの人間が写っているので、よく見てほしい。飛行船は巨大な格納庫でもいっぱいの大きさで、それは写真でも分る。扉上部と尾翼は1メートルちょっとしか余裕がなかったそうだ。先月号でふれた予科練平和記念館にいくと、周辺地図にツェッペリン飛行船の着陸地点が描かれている。私はそこに行かなかったが、今では住宅街になっている所かな、と思う。 |