第二次世界大戦前はほぼ非武装だったスウェーデンも、戦中・戦後は一貫して軍備増強に励みました。アメリカにもソ連にも与しない国防体制構築に向け、高額な税金を基礎に、独自の戦略に基づく、高度かつ高額な軍備と福祉制度を確立して今日に至っています。
近年はさすがに高負担に耐えかねて、政府は戦車等の独自開発は中止し、レオパルト2戦車を導入しましたが、軍用機はマルチロール機のサーブJAS39グリペンの開発を継続し、その輸出に奔走しています。
独自路線の先駆けがサーブJ21Aです。第二次世界大戦中に実用化された唯一の単発双胴推進式エンジン機で、射出操縦席を取り入れた最も早い例、スウェーデンで開発された初の液冷エンジン戦闘機と、記録づくめです。
しかも戦後は、レシプロ・エンジン(DB605B)からジェット・エンジン(デ・ハビラント・ゴブリン)に換装した世界初の戦闘機-サーブJ21Rとなりました。
「R」はリアクション・モーターの意味で、1940年代はジェット・エンジンは、このように呼ばれていたそうです。機体の80%をJ21Aと共用の計画でしたが、50%に止まりました。空戦性能は悪く、攻撃機として運用されています。
しかしJ21Rは、スウェーデンの航空機開発技術の向上に寄与すると共に、本格的なジェット機-サーブ29の実用化までの繋ぎの役割を果たしました。
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サーブ29はその外見からトゥンナン(樽)と呼ばれていますが、外見に似合わない(失礼!)先進的機体で、西欧諸国で最初に後退翼を付けた戦闘機です。
後退翼等の最新技術は第三帝国のTa-183に基づくので、Mig-15やF-86と姻戚関係にあたるかと。何にせよ、スウェーデンの情報収集能力の高さを感じさせます。マルチロール機の先駆けでもあり、戦闘機型J29、偵察機型S29、攻撃機型A29が生産され、オーストリアにも輸出されました。
コンゴ動乱(1960年~1965年)時には、カタンガ軍の軽攻撃機フーガCM.170マジステールに対抗して、国連軍機として9機のJ29と2機のS29が派遣されて
活躍しています。
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