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創刊7周年特別企画

 「私の初めてベスト5」 

by webmodelers編集部

 2016年2月号でwebmodelersは7周年を迎えました。
その記念企画として「私の初めてベスト5」 をアンケート募集いたしました。
 お楽しみ下さい。


by 平針みなみ
  「初めてベスト5キット」ということですが、私が小学校に入学したのは1961年(昭和36年)ですが、それ以前からプラモデルを作っていたので、1960年(昭和35年)には作っていたと思います。初めて作ったプラモデル、初めて作った飛行機のプラモデル、初めて作ったフネのプラモデル・・・などは、どこのメーカーの何だったのか全然記憶にありません。

1.初めて作った潜水艦プラモデル 1961年
日模 伊号潜水艦  
小学校に入った頃に作ったプラモデルで、メーカーまで覚えている一番古いものです。ゴム動力、自動浮沈装置付きでした。小学生のときには艦船の模型をよく作りましたが、潜水艦はこの後にタミヤのシリーズを作ったくらいです。この伊号潜水艦を作ったころは、近所の模型店でも木製ソリッドの艦船模型を売っていました。なお、初めて作った空母の模型は、メーカー、艦名は覚えていませんが、小さな木製ソリッドモデルでした。

2.初めて作った輸入プラモデル 1962年か1963年
モノグラム F11F ブルーエンジェルス 
誕生日に祖父から買ってもらったもので、4機編隊でスタンドに飾れるものでした。組み立てるだけであれば簡単なキット。当時は、F11Fのブルーエンジェルスを、テレビや絵本、雑誌などで見ていたので、どうしても欲しかったのでしょう。1961年11月からフジテレビで放送した「ジェットパイロット」というテレビドラマが印象に残っています。近所の模型店ではあまり輸入ものは置いてなかったのですが、その店でこのキットを見つけました。1ドル360円の時代でもあり、かなり高価だったようで、小学校低学年の小遣いでは手が出なかったものです。

3.初めて色を塗ったプラモデル  1967年
マルサン 怪獣豆シリーズ(ゴロー、ラゴン、ペギラ、ガラモン、パゴス)
日模 1/24 ポルシェF1
ハセガワ 1/72 F-4B ファントムⅡ
マルサンのプラカラーで塗りました。つやのことなど念頭になかったので、テカテカの怪獣になりました。
ポルシェF1は、数年前のスロットレーシングカーブームの時に作ったものですが、後に銀色に塗ったものです。あまりポルシェシルバーという感じではなかったように思います。
当時のプラカラーは原色のみで、それを混ぜて必要な色を作るのですが、ハセガワのファントムを作ったとき、なぜかライトブルーグレーといった色合いで、どうしてそうなったのか長年に渡って疑問でしたが、先日モデルアートの1968年2月号(第11集)のファントムⅡのキット(マルサンとハセガワ)についての記事の中に、「米軍機の色の配合は ・・・ ※機体と主翼上面 ガル・グレー(白、黒、紺)・・・白が主体でまづ紺を加え、わづかに黒を混ぜる・・・」という表現があったので納得できました。

4.初めて作った白箱プラモデル 1969年か1970年初め
タミヤ 1/100 B-52F
ここでいう白箱とは、キットの発売前のテストショットなどを小売店などにサンプルとして渡されるもので、ボクスアートなど印刷されていない真っ白い箱に入っているものです。模型店の店主から展示用として作成を依頼されたもの、箱を開けてみるとフラップに湯が回りきっていないところがありました。これ以前に作ったキットでは、LSの九六式陸上攻撃機が一番大きなものでしたので、その大きさと銀と白の塗装に苦労をしました。

5.初めてコンテストに出したプラモデル 1971年夏
レベル 1/32 P-40E
イマイのサンダーバード・パノラマセットを作ってから2年ほどプラモデルを止めていました。1969年3月にプラモデルに出戻りしてから1/72の飛行機中心に作っていましたが、70年代に入ると、1/50や1/48、そして1/32の飛行機もときどき作るようになりました。1/32ではレベルのBf109FやP-40E、P-51B、ハセガワが1/32に進出したFw190Aなどを作りました。
このP-40Eは、地元の少し遠くの模型店、たまにしか行かない店でしたが、そこでやっていたローカルなコンテストに出品してみました。機首のアリューシャンタイガーのマークを手書きしてみました。

次点.初めて改造したプラモデル 1975年
タミヤ 1/48 バッファロー
航空情報で1973年1月号から連載された中山雅洋氏の「森と湖と空 北欧空戦史」でフィンランド空軍機に関心をもち、タミヤからバッファローが出るとすぐに数個買ってきてまず2個を改造しはじめました。資料としてフィンランドで発行されていたカレビ・ケシキネンさんの“Suomen Ilmavoimien”のシリーズやIPMSフィンランド支部の会報なども入手して参考にしました。改造ということより、キットのあちこちに手を入れなければならないことが分かって苦労しましたが一応完成させました。もう1個の方は、もっと納得のいくまで作ろうとは胴体もばらばらに切り刻んだまま40年以上が過ぎました。
なお、フィンランド空軍のブルースター・バッファローは1/72でたくさん作りたかったので、ハセガワが1985年に飛行機ファン謝恩キャンペーンとして「あなたのほしい飛行機つくります」として1/72の第2次大戦機を公募したとき、何枚もB-239希望と書いたハガキを出しました。そのときはMe262に決まったのですが、後にB-239のキットが出たときは20個ほど買いました。その後のコンボなども買って数を増やしています。


by コルディッツ
1 はじめての軍艦  

 ウォーターラインシリーズのフジミの初代「利根」です。当時は塗装せず、隙間も気にせず、艦船の知識は皆無故、追加工作もせず、あっと言う間に完成をみました。そのせいか少し物足りなく感じたものの、大きさは手ごろで、同封されていた連合艦隊集合のパノラマ図に強く惹かれ、ウォーターラインのコレクションにGOと思いました。でもレベル・ファイターシリーズを集めると親に宣言していたので、お小遣い面から泣く泣く断念しました。
現在の未完成キットの山を見ていると、珍しく健全な判断をしたと認めざるを得ません(笑)

2 はじめての1/100

 タミヤのミニジェットシリーズのダグラスA4スカイホークが最初です。
塗装はまだしていない頃ですが、プラの色もライトグレーなので気になり
ません。また爆弾は黒で成形されていたのでお得感も強かったです。しかし
爆弾架に爆弾をバランスよく接着するのは難儀でした。
 このキットでオーストラリア軍用機に関心を持つようになりました。何せ
国籍標識の中をカンガルーが跳ねているのですから。当時は「ステンシル」
なんて知る由もなく、実機の一つ一つのマークに、カンガルーを書き込むの
は大変だろうなと想像していました。

3 はじめての戦車  

緑商会はインスタントタンクシリーズの、たぶんスターリン戦車です。
フリクション装置で走らせるのが目的だったので、接着剤不要で組み立て
可能なキットは大歓迎でした。しかも50円と経済的。このシリーズは最初に
リリースされた8車両を集めましたが、やはりパンサー戦車が一番のお気に
入りになりました。
 同シリーズがコピーとは知らず、後年エアフィックス76のスターリン戦車を組み立て中に『あれ、前に作ったような…』既知感にかられ、不思議でした。

4 はじめてのAFV


  タミヤMMシリーズの初代キューベルワーゲンで、両手とまでは行かない
 けれど、かなり量産しました。車体塗装はすべてフィールドグレイ一色にしましたが、これはTV「コンバット」の影響が大きいと思います。また車体側面のリブがJu52を連想させたので、私的にはシュビムワーゲンより親しみを覚えました。
そして華やかな戦車(?)ばかりでなく、このような裏方AFVまでモデル化するタミヤの目線の鋭さに驚きました。またこの種の裏方キットのリリースがジオラマ制作も活気づけ、かつ多種多様な技術や工具、資材の発見・再発見・開発の起爆剤になったと思います。
 
5 はじめての別売りデカール

 記憶定かではなく、物証もありませんが、確かモデルアート誌に掲載された、
かつて笹塚にあった「えんどう」の、通信販売の広告の中に別売りデカールを発見して、これもはじめての通信販売利用で取り寄せたと思います。
デカールはヨーゼフ・プリラー大佐機で、映画「史上最大の作戦」で連合軍のノルマンディ上陸に一矢報いたのを見て感激したからです。先に原作の要約版を読んでいたので、映画ではFw190をMe108で代用したのが残念でしたが。
 送られたデカールにはFw190A8とあったのですが、当時はレベルのA4(?)
しかないので、私も代用しました(笑)。細かい数字は、結果的に省きましたが、
かなり満足出来ました。
以降ABTデカールなどを買い集めましたが、これも長年お蔵入り状態です。デカールの経年劣化は顕著ですから、怖くて探せません(笑)



by 田口博通
 1 初めての飛行機プラモデル
 初めてプラモデルを買ってもらったのは 小学生1年生ごろ、F86セイバー (日模 1/100)だったと思います。四国高松市に住んでいましたが、中心部瓦町に祖母の家があり、夕方ごろにキヨコオバチャン(当時は20歳前でキヨコネーチャンと呼んでいましたが)に高松で一番大きい模型店である太田理工社で買ってもらったプラモデルの箱を一緒に開けた記憶が鮮明にあります。しかし、それを作った記憶はあまり定かではないのです。ということは、自分では作れず、結局 ミシン店を営んでいたその上の叔父に作ってもらったのかもしれません。

 2 初めての塗装
 オオタキの月光を豆ラッカーで塗ったのが最初です。当時 小学校5年か6年だったと思いますが、豆ラッカーの缶にプラモデル用と書かれたものです。
小学校通路とバス通りの角にある松島文具店のオッチャンのいうままに豆ラッカーを買い、雲形迷彩に塗ったのです。テラテラで、食いつきはいいのですが、プラの表面が若干溶けたような感じでした。しかし、そんなものかと疑いもせず、 全然気になりませんでした。
 瓦町にあった高松最大の模型店 太田理工社で マルサンカラーや、ピラーを見るようになったのは、中学生になった後のことでした。

 3 初めてのモデルアート
 1967年6月号(第5集) 表紙が B-24とLS零戦、日本ホビーの1/400利根のものです。
当時、中学2年生でした。以後の私のプラモ人生を決定した運命の出会いともいえる1冊です。覚えるほどに読み、LSの21型を11型練習機に改造する記事にはとにかく憬れたものです。
初めての改造は 21型を11型( つまり翼端を接着するだけ)でした。
それから、11型練習機への改造にチャレンジし、冬頃 なんとか完成しました。
初めて、パテなるものを使ったのもこのLS零戦の改造です。
塗装は片原町のセントラルホビーの店主が 「これがとにかく伸びが良おて ええで」というハンブロールのダッグエッググリーンを全面に筆で塗りました。LSのキットは100円の時代で、ハンブロール 一缶が180円は高いと思いました。塗りやすかったのですが、塗装後筆をシンナーで洗っておしまいすることを知らず、がちがちに筆先が固まってしまい駄目にしてしまいました。エナメルはラッカーのように再溶解できないことを知らなかったからで、痛い経験です。

 当時の地方の一中学生のパッションに火をつけたモデルアートの6月号でした。
今でも 思い返したように時々 その号を読みます。「三つ子の魂百まで」かもしれません。

 4 初めての東京プラモ店めぐり
 進学のため1972年に上京して、目蒲線の奥沢近くに下宿しました。
そして、すぐ、東京の模型店をめぐりはじめました。四国に住んでいたため、モデルアートの広告でだけ見たことがある憧れのプラモデル店を 休日に廻っていました。それが とにかく楽しく、ですから、5月病など無縁だったと思います。
 正直を言うと、憧れの東京のプラモ店に行きたいがために、進学先を四国から遠い本州の東京にしたようなものです。将来を考えて 学校を決めるなんて殊勝なことを考えたことはありませんでした。「とにかく東京に行けば、好きなだけプラモデルが作れる」 そう思って プラモデルに一時封印し、受験勉強に耐えました。
 
 まずは、憧れの新橋のステーションホビーへ、 ABTデカールを買った記憶があります。
代々木のポストホビーはしゃれたブティックのような店舗でびっくりしました。
原宿のキディランドの3階には当時プラモデル売り場もありました。階下のおもちゃ売り場には外人さんの子供が多く、ここは何処? 当時の原宿の通りはまだ喧噪とは無縁で静かでした。
 それから、目黒駅のステーションビルにも模型店がありました。今では考えられないことですが、当時は、山手線の各駅に模型店があったのです。
 そして 下北沢のサニー、 遠くまで足を伸ばして 笹塚の遠藤。数えきれないぐらいのキットの箱が天井まで溢れており、圧倒され、本当にびっくりしたものです。今でも サニーには時々行きます。
 それから、東急沿線では田園都市線の上野毛にオープンしたばかりのワイルドボア。せまい店でしたが居心地はよかったです。久我原のモデルエース ちょっと路に迷いました。
 都立大学駅か学芸大学駅にあった たくみ模型。PPCが1970年に始まって、一挙にプラモ製作技術が上がっており、店先のショーケースの素晴らしい完成作品には しばし見とれました。
 一番 よく行ったのが、歩いて行ける自由が丘のおもちゃチヨダママストアの2階の模型フロアです。完成品のショーケースなどはなく、ただプラモデルを置いていただけですが、その量が半端でなく、楽しめたものです。

 5 初めての商業誌作例製作
 モデルアート 1994年7月号 特集 日本海軍の水上機の中で、零式3座水偵(ニチモ 1/48)を作らせていただいたのが、最初です。ご存じのように、このキット コクピットがなく、さらし首状態のパイロットが搭乗しています。コクピットの中を全て自作し、エンジンもフジミ99艦爆から流用しました。今では作風も変化し、キットをストレートに作ることに重点をおいて作っていますので、今 もし再びこの3座水偵を作るとすれば、迷わず さらし首で作るでしょう。
「あのとき君は若かった」
 



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Vol.90  2015 February     www.webmodelers.com /Office webmodelers all right reserved /
                    editor Hiromichi Taguchi 田口博通 /無断転載を禁ず  リンクフリー

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