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誌上個展

<日本航空史>“空飛ぶ女学生”
キャサリン・スチンソンさん

  by 加藤 寛之
プラモデル コラム

 日本航空史で女性飛行士を語るならば、それはキャサリン・スチンソンさんから始まるといえる。彼女は1916(大正5)年12月に来日した19歳というふれこみの“空飛ぶ女学生”。 彼女は本当は22歳だったらしいが、日本では第一次世界大戦でハシゴのようなモーリス・ファルマン式が実戦参加したのが1914(大正3)年9月なのに、その僅か2年後に前にエンジンを装備した先進的な飛行機で若い民間のアメリカ人女性が宙返り飛行を、しかも夜間飛行さえしたのだから驚きだったろう。




 笑顔の写真を見ると、今だって空飛ぶアイドルで大人気になりそうだ。キャサリン・スチンソンさんの絵葉書はネットオークションでもしばしば出品されており、それほど珍しいものではない。 と、いうことは、戦争云々敵国云々鬼畜米英云々といっても保存しておいた人が沢山いたということだ。日本人、なかなかやるじゃないか。




 航空史としては、飛行家として大成功した興行師の一人に過ぎないのだが、彼女が日本女性の意識に強烈な刺激を与えたことは確実で、 女性飛行士としてだけではなく、日本女性のありかた全般に及ぼした影響こそが記すべく業績だろう。




 松村由利子『お嬢さん、空を飛ぶ』(NTT出版、2013年)と『航空ファン』2008年7月号「キャサリン・スチンソンの乗機の正体」によれば、キャサリンは1912年7月に飛行免許を取得、米国で4人めの女性飛行士になったのだそうだ。彼女は米国内、カナダで興業飛行をしていたスーパースターで、日本と中国で興業飛行し帰国、その後に体を壊し1920年に飛行から引退、建築家となりサンタフェに住み結婚、1977年に亡くなったという。 来日当時には名前を「カザリン・スチンソン」と記載したものも多い。乗機は「ライト式」と称されるが、違う。通称「パートリッジ・ケラー・ルーパー」という飛行機らしい。スチンソンといえば小型機を造っていた会社に同名のものがあるが、彼女の兄弟が興した会社だそうだ。




 今回は彩色絵葉書で人気のヒミツを確認するだけでなく、スチンソン嬢が日本女性に与えた影響もかみしめてもらいたい。


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