第一次大戦に勝利して精強だったフランス空軍は、世界恐慌と国内政権が不安定となり航空産業が停滞して新型機の開発と近代化が遅れていたが、航空省は1934年7月に新型戦闘機の開発競合を指示した。マルセル・ブロック社のモーリス・ロウセル技師は全金属製のMB.150-01を設計したが、機体設計の欠陥により初飛行では離陸もできなかったので空軍はモラン・ソルニエMS.405を採用、ブロック社は主翼増積など再設計してエンジンを強化、10月には初飛行に成功して25機のMB.150が発注される。さらに改良したMB.151は性能不足だが1939年3月から144機引き渡され、同時に開発されたMB.152は出力1030hpエンジンを搭載して最大速度が高度4500mにおいて509km/hに向上、2種の異なるエンジンを装備して外翼の7.5㎜機銃2挺と内翼の20mm機関砲2門に |
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強化したMB.152初期型と、排気管とオイルクーラーを改修したMB.152C-1は1939年4月から482機が引き渡された。ドイツのポーランド侵攻により9月3日に宣戦布告して各社の緊急量産が開始され、MS.406よりも高性能で運動性も良いMB.152だが照準器やプロペラの生産が遅れて旧式機に慣れたパイロットの訓練も不足したまま1940年5月10日にドイツ軍の大攻勢を受ける。
速度ではBf109に劣るMB.152は爆撃機の迎撃に戦果を挙げるが、非占領地からの増援もなく6月21日に降伏してドイツに協力するビシー政権に編入されるか北アフリカやイギリスへ脱出した。休戦までに空冷エンジンを搭載したMB.153試作型1機、燃料タンクを増積してエンジンを強化したMB.155が10機と休戦後のビシー政権で19機が作られてドイツ軍は訓練に使用している。 |