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誌上個展

<日本航空史> 「化けてこの恨みはらす」

  by 加藤 寛之
プラモデル コラム

 太平洋無着陸横断飛行を、今では1日に何機が達成しているのだろうか。昭和5年、青森県の淋代海岸から飛び立った「ミス・ビードル」号のウエナッチ胴体着陸が、いわゆる飛行機での第1号になる。その話は当誌<日本航空史>の「赤いビードルと赤いリンゴ」でふれた。太平洋無着陸横断飛行が飛行船でよければ、同「東京上空600メートル」のグラーフ・ツェッペリンをみていただきたい。
 さて、日本人もボ~ッと生きていたのではなくて、川西K-12桜号で挑戦を試みた、いや、試みようとした。昭和3年のことである。

川西 K-12桜号


 帝国飛行協会は太平洋無着陸横断飛行を計画、そのための飛行機として川西がK-12桜号を造った。川西で洗練された水上機を次々と造り上げていた、関口英二氏が手掛けた。ところが航空局は、これでは目的地まで飛行できない、と判断した。その1、重心と揚力の中心がずれていて尾部が軽すぎる。その2、積む燃料が飛行に足りない。関口技師は、尾部が軽いのは救命ボートや食料などを積むため、燃料は規定の600キロでなく800キロを積むので充分に飛べる、という主張だった。

桜号の中止原因のひとつである航続距離不足について、航研機とA-26という長距離飛行機を手がけたを木村秀政氏は、『飛行機の本』(新潮社、1962年)で、「その頃、記録的な長距離飛行を試みる場合は、普通の飛行機としては、危険なほど燃料を積んで、一か八かやったものである」「リンドバーグの飛行機だって、離陸してからしばらくの間は、強度が不足だったはず」と書き、さらにいろいろと記述している。航研機の世界記録飛行時も同様だったらしい。氏は、機体強度から逆算した燃料搭載量をもって不可とする、規則どおりの検査をした航空局に疑問を投げかけている。



 ナンダカンダと不適格になったウラには、海軍後援の太平洋横断飛行に挑戦するために川西で製作された「桜」号が、陸海軍の対立にあって飛行不適格と認定されたのだともいう。そのため、「「桜」号の設計者は、航空局に泣き込み、「化けてこの恨みはらす」と叫んだらしい」。桜号の一般的な記事では、こんな生々しいことまでは伝わっていないけれども、この言葉は『航空情報』1952年12月号にある。
加えて、4名いたパイロット候補者の一人、後藤勇吉氏が事故死した。3名で訓練中に濃霧で基地に引き返す際、旋回中に柿の木に翼を引っ掛けて墜落、後席の後藤氏だけが燃える前に脱出できず亡くなった。資金不足もあった。総額100万円が必要かとなるなかで、獲得賞金を入れてもまだ50万円も不足する事態だった。
周囲の環境は整わず、資金も集まらず、太平洋無着陸横断飛行は断念された。


掲載の写真は飛行中の1号機。黄色い機体は完成式のもので、本に挟む栞に刷られたもの。
私は実機の色を知らないので、本当にこんな黄色なのかは分らない。機内はライトグリーンで翼端の3本の帯は紅、これは当時の新聞に書いてある。



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