Home  > <日本航空史> 奈良原三次は徳川機初飛行にプロペラを貸した>コラム>2019年3月号 

誌上個展

<日本航空史> 奈良原三次は徳川機初飛行にプロペラを貸した

  by 加藤 寛之
プラモデル コラム

 奈良原三次氏は、本Web誌2017年12月号の<日本航空史>「干潟の飛行場、洲の飛行場」で稲毛民間航空記念館の展示物、奈良原三次氏の鳳号の80%レプリカの話の時に言及した。 そのときは「別の機会に当時の絵葉書を使ってホンモノ映像でご紹介したい」とした。今回がその機会。


 奈良原三次氏はすごい人なのだが、あまりにも古くて知っている人は少ないと思う。一例を示す。それは徳川好敏氏の日本初飛行のときのこと。初飛行と認定されたアンリー・ファルマアン機のプロペラは、金属製に交換してあった。奈良原三次氏の回想に、「木製推進機は地を打って四散し」「幸い私が取寄せて所持していたファルマンの金属製推進機と車輪を装着して無事公開飛行された」とある。これは奈良原三次「航空むかし話」『航空朝日』昭和17年11月号から。  徳川氏は『日本航空事始』(出版協同社、昭和39年)p.64で「幸いなことには、奈良原委員の手許に、彼がフランスから取り寄せたグノーム式発動機用のプロペラがあるという。…ピテリと適合した」と書いている。所沢に飛行場が初めて出来た理由についても同文に「中央が低い場所で、これに向かって滑走すれば早く飛行機が離陸し、着陸も斜面を上るようにすれば早く停止するだろう」とある。そんなことも知っている人なのだ。

奈良原式1号機


 ここには当時の絵葉書で、奈良原式1号機、2号機、4号機を掲載した。奈良原式1号機は「材料は国産ということを考慮して、骨は全部竹材を用いた」(徳川前掲書、p.45)が、ついに飛ぶことは出来なかった。なるほど、支柱に竹らしい節が見える。

奈良原式2号機


 2号機は、明治44年5月5日、所沢飛行場での飛翔に成功した。国産機の初飛行だった。
着陸時に脚を折りプロペラを破損したというが、その時の写真だろうか。

奈良原式4号機


 4号機は鳳号と名付けられた。稲毛民間航空記念館の展示物がこれの80%レプリカだ。飛行中の写真では分からないが、地上にある側面から撮った写真を見てほしい。エルロンは両方が下がっている。これについて奈良原氏は上掲文で「ファルマン系の機体は、地上で補助翼が垂れ下がっている。 フラップでもないのに両翼が下がる。これは飛行中に一方が下がるだけだから」と書いている。鳳号も、そうだったのだろう。この写真、垂直尾翼が写っていない。飛行中にはちゃんとある。



 詳しくは『日本航空機辞典 上巻』(モデルアート社、2004年第4刷)p.283~284を見て頂くのが手軽だと思う。


  Home ><日本航空史> 奈良原三次は徳川機初飛行にプロペラを貸した>コラム>2019年3月号

Vol.127 2019 March .   www.webmodelers.com /Office webmodelers all right reserved / editor Hiromichi Taguchi
                  田口博通 / 無断転載を禁ず/  リンクフリー
「webモデラーズ について」 「広告のご出稿について」

プラモデル模型製作記事


TOTAL PAGE