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誌上個展

<日本航空史> ニューポール82E2は80E2か

  by 加藤 寛之
プラモデル コラム

 本Web誌の2019年12月号と翌1月号に連載したWWⅠドイツ機の塗装は、それなりに興味を持たれた方もあろうかと思う。
今回もWWⅠに近い話だが、日本機大好き人間・複葉機大好き人間でも、大多数が「どっちでもいいや」と思いそうなことを紹介したい。

ニューポール81E2


 1919(大正8)年、陸軍の招きでフランスから総勢61名のフォール大佐一行が航空指導に来日した。それに先立って、ニューポール社から3種の練習機が購入された。ニューポール81E2、同82E2、83E2 が、それだ。81E2は甲式一型練習機として、83E2は甲式ニ型練習機として制式となり国産化されたが、82E2は輸入10機だけの試用に終わった。 なお、「甲」はニューポールのことで、「E」は練習機、「2」は二人乗りの意味。このうちの甲式一型練習機は、埼玉県のあるお寺にあった残骸が埼玉県所沢市にある航空発祥記念館に展示してある・・・のだが、今回の話題は制式にならなかった82E2になる。何のことか分らない人は(大部分の方でしょう)、1989年発行のモデルアート社『日本航空機辞典(上巻)』p.32 を見てほしい。

ニューポール83E2


 この82E2だが、昭和15年発行の『日本軍用機史』(海と空社)では、「ニューポール80型練習機」とある。写真付きなので同じ機種と分るが、型式は「82」でなく「80」なのだ。1972年発行の『日本航空機総集 第六巻輸入機篇』p.60 にも「ニューポール80E2練習機」とあって、これも「80」だ。そこで、前述のお寺にあった残骸を報じた「60年前の幻機 ニュー・ポール破損機発見記録」『航空技術』1987年5月号を見たら、3種をニューポール81E2、同82E2、83E2 と書いてあり、「82」になっている。
この雑誌記事はモデルアート社『日本航空機辞典(上巻)』発行の2年前に発表されており、同ページにある81E2の解説文にお寺にあることが触れられていることから、『日本航空機辞典(上巻)』の解説文筆者が「60年前の幻機 ニュー・ポール破損機発見記録」を読んだか知っていたことは充分に推定できる。

ニューポール80E2(82E2?)


 80E2が82E2になったことが「修正」なのか「誤解」や「誤記」なのか、あるいは他の理由があるのか、私にはまったく分らない。制式にならなかったこともあって資料が少なく、私には「ここまで」なのだ。なぜ最初は「80」で、どうして「82」になったのか、ご存知の方は教えていただければとてもうれしい。  次回も、フォール大佐一行関係で今回と同じくらい「どっちでもいいや」と思われそうな話を予定している。プラモデルキットが存在する機種なので、多少は役に立つかもしれないが。

フォール大佐の像



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