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誌上個展

<日本航空史> 日本航空の「DC-8C」導入

  by 加藤 寛之
プラモデル コラム

 バイカウントを採り上げたときに、日本航空DC-8の1番機の羽田飛行場到着も同じ時期だったことにもふれた。『航空情報』1960年8月号の裏表紙は日本航空が広告を出しており、そこには「8月12日より 最高をゆくジェット/日航のDC-8C 太平洋線に就航」とある。
…「DC-8C」って何ですか?
 DC-6Bとか、CD-7Cとかが存在するので、うっかりすると見過ごしてしまうが、DC-8の型式は50いくつとか60いくつとかのような数字表記のはず。例えば、長胴型が「DC-8-61」のように。
 その答えは、『航空情報』1960年8月号「空のロータリー」欄と『航空情報』1960年9月号「この巨人機を見よ! ダグラスDC-8」に書いてある。ダグラス社はDC-8の国内線用・国際線用がエンジンや離着陸重量などの内部面しか違わないので、正式な型式分類を行なっていなかった。このため米国航空局は便宜上A,B,Cの仮記号で分類していた。J57装備の国内線用が「A」、J75装備の国内線用が「B」、J75装備の国際線用が「C」だった。ところがこれを使って、パンアメリカンやノースウェストが自社機を「DC-8C」という何か特別な機体であるかのように宣伝、これを受けて米国内線各社も「DC-8B」と名のりだした。一方、ダグラス社は社内で「正式」ではないが米国航空局とは別に、A~Eと分類していた。混乱はダグラス社が正式に分類しなかったことが原因だったので、結局、ダグラス社が数字に置き換えて決着したのだという。このときの日本航空の導入機種は、米国航空局の分類では「DC-8C」、ダグラス社内分類では「DC-8D」なのだそうだ。そこで昭和35年12月10日発行の鳳文書林『日本航空機全集1961年版』で確かめると、型式に「DC-8-32」とあった。宣伝呼称で植えつけられた意識は一気に変わるものではないが、「DC-8C」の宣伝呼称それ自体はどのくらい継続したのだろうか。



  さて、本「日本航空史」は、筆者が何かの物的証拠を持っていることを自らの執筆条件に課しているのだが、「DC-8C」の発見は偶然だった。バイカウントの写真を探したら、一冊まるごと古書店で入手したアルバムの写真に「DC-8C」とメモ書きがある一枚を見つけたのだ。
外観では区別できないのだが、掲載写真を撮った人は確かに「DC-8C」を撮ったのだ。


  <御礼>
「日本航空史」のロイヤル・アルバトロス号について教えてくださった 投稿者:怪鳥様、ありがとうございます。デタラメも、正しい情報として報道された以上、立派な航空史の一コマです。これで安心しました。



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