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誌上個展

<日本航空史> たくましい「タコマ市号」

  by 加藤 寛之
プラモデル コラム

 今回は、太平洋無着陸横断を何回も狙ったものの達成できなかった飛行機、「タコマ市号」のお話。



 野沢正編著『写真日本航空史』(出版協同社、1960年)や、朝日新聞社『航空70年史-1 1900-1940』(1970年)などを主な参考にして説明すると、昭和5年、最初はタコマ市から日本への飛行を企画したが中断、機体を船で日本に運び霞ヶ浦からの東周りに変更した。この時は離陸時に満載の燃料で浮揚力が不足、燃料を緊急放出して難を逃れたものの挑戦飛行は失敗。次は青森県の淋代海岸(「ミス・ビードル号」と同じ海岸ですね)から飛び立ったが悪天候と故障で引き返した。機体は別の人の手に渡り一部改装、「パシフィック号」に名を変えて昭和6年5月に再び淋代海岸からの飛行を目指した。このときは下り坂を使い約2km.を滑走したものの離陸せずに失敗。また別の人に渡ってカウリングや垂直尾翼、尾輪などを変更して「クラシナマッジ号」に名を変えて昭和6年9月に淋代を出発、残念なことに途中の島に不時着。同機による太平洋無着陸横断飛行への挑戦は不成功に終わった。機体そのものは後日にアメリカへ辿り着いたそうだ。何と、根性があること。



  掲載写真は、1枚が霞ヶ浦のとき、2枚は淋代海岸だと思う。霞ヶ浦のときの写真は、古書市で入手した戦前雑誌の切り抜きからとったもの。申し訳ないが掲載誌が何であるかわからない。その説明文に霞ヶ浦とあるし、水兵さんの姿が映っていることでもそうだろうと判断できる。淋代海岸だと思う2枚は、地元の支援者らしい方々が写っている。



  翼をもった飛行機での太平洋無着陸横断飛行は挑戦に値する課題だった。本Web誌の<日本航空史>で扱った機体では、昭和3年の桜号は飛行許可が得られずに断念、報知新聞キモ入りで昭和5年に島伝い飛行を試みた日米報知号でも途中断念。無着陸横断に成功したのは昭和6年10月の「ミス・ビードル号」になる。ここで忘れてはならない人がいる。ニューヨーク~パリ間の単独無着陸横断飛行に成功したチャールズ・リンドバーグとアン夫人は、シリアス機に乗って島伝いではあったが北太平洋経由で昭和6年8月末に霞ヶ浦に到着していたのだ。大歓迎されたというが、この状況を考えれば当然だったろう。



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