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(Photo) ラビの戦い 1942

by  コルディッツ
博物館実機写真

 オーストラリア戦争記念館のコレクションの中に、錨章のついた九五式軽戦車があります。これはラビの戦い(連合軍呼称はミルン湾の戦い)で遺棄された呉第五特別陸戦隊の装備車輌です。
※ 本稿は博物館の標示とWikipediaを参照しました。

 九五式軽戦車 612
 オーストラリア戦争記念館(キャンベラ)にて 2018年4月撮影



 九五式軽戦車の前面(上)と錨章のクローズアップ(下)



 ラビはニューギニア東部のミルン湾に面した村の名前です。ここ
にオーストラリア陸軍とアメリカ陸軍工兵隊が、滑走路建設を始め
たのは1942年6月の事でした。連合軍の動きを察知した第八艦隊は
攻撃を企図しますが、陸軍からは兵力供出を拒否されます。そこで
海軍だけで処理せんと、第八艦隊の護衛の下、九五式軽戦車2輌を
装備する海軍陸戦隊をミルン湾に侵入させ、上陸作戦を決行したの
は8月25日夜の事でした。



 日本軍は上陸地点を誤り、予定地点から10km以上東に上陸となり、
25日夜に飛行場に到達できませんでした。翌26日早朝、ラビ飛行場
に7月から展開していたオーストラリア空軍第75、76戦闘機中隊の
キティホークMk.Ⅰa(P-40E)に攻撃されて、揚陸した集積物資と
大発動艇を喪失します。27日の夜襲は、2輌の九五式軽戦車の支援
でオーストラリア軍の第一線陣地を突破し、建設中の第3滑走路に
行き着きますが、ここで大損害を受けて後退します。九五式軽戦車
も泥土のため行動不能となって、この時に放棄されました。



 八九式擲弾筒と思いますが、発砲準備した海軍陸戦隊員。



 海軍陸戦隊の装備が良かったのは有名ですね。ラビの戦いにも、
写真の上から三番目の短機関銃、シュタイヤー・ゾロターンS1-100
を持ち込み、オーストラリア軍に捕獲されました。



 対するオーストラリア軍はトンプソン短機関銃やボーイズMk.Ⅰ
対戦車ライフルを装備していました。ラビの戦いでは九五式軽戦車
に対戦車ライフルを発砲しましたが、不成功に終わりました。



 9月5日に海軍陸戦隊は海路撤退しますが、戦死311、不明301、
戦傷311の損害を出しました。オーストラリア軍の戦死・不明は
167、戦傷206。アメリカ軍は戦死14とwikipediaにありました。
 ガタルカナルの戦闘の短縮版のように思いました。





 海軍陸戦隊がラビに上陸した8月25日は、ガタルカナル島で一木
支隊が全滅(8月21日)し、第二次ソロモン海戦(8月23-24日)で
敗北した後の日付であることを思うと、この時点で戦線の拡大を
企図したのは如何なものかと。



 九五式軽戦車は三菱製空冷直列6気筒ディーゼル・エンジン(120
馬力)を搭載、足回りのはシーソー式サスペンションで、最大速度
40km/h以上を出しました。1933年から開発が始まり、重量7.4トン、
乗員3名で武装は37mm砲1門、7.7mm機関銃2挺(初期は6.5mm機関銃)
と、同時代の軽戦車と遜色はありません。主力戦車に想定されて
いました。最大装甲厚12mmと薄く、対戦車戦向きではありません。
機動性を活かし、第二次世界大戦初戦の快進撃の立役者でした。
生産数は2,378輌(2,375輌説もあり)と日本一で開戦から占守島
の戦いまで現役で、戦後も中国内戦、第一次インドシナ戦争でも
運用されました。



 戦争記念館の照明は、約半世紀前に入ったディスコのようで、
短時間で光りの当り方が変化するので、上手く撮影ができなかった
のが残念です。たぶんジャングルでの戦闘を実感するには、良い
工夫の照明とは思いますが…






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