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特集 今は無きメーカーのプラモデル

F-80B シューティングスター (モノグラム 1/48)

  by 老人とプラモ

 P-80は1948年の空軍独立によりF-80と呼称変更されていますが、開発設計、最初の量産型(P-80A)の配備などは大戦中に行われています。P-80Bは、より高推力のエンジンに換装し射出座席を備えて1946年6月から配備開始となっています。しかしP-80の大まかな形態はプロペラ戦闘機を踏襲したもので翼端の増槽を除いて、機首にエンジンとプロペラを付けるとそのまま第2次大戦中のヒコーキになりそうです。



 1950年に勃発した朝鮮戦争では、F-80は後退翼のMig-15に太刀打ちできなかったことで、やられ役のイメージができてしまいました。開発の時代がジェット戦闘機の黎明期であったことを考えるとムリもない事と思います。

 F-80は冷戦期に西側陣営の前線基地であるドイツに多くが展開しました。このモデルの塗装はキット説明書の 第36戦闘爆撃グループ所属 'Skybrazer' 駐ドイツ 1949 を選びました。



 胴体後部は実機同様の取り外しができて、遠心圧縮式のJ-33-A-21が現れます。



 プラモで分割部分のとりはずしをやると きつすぎてヒビが入ったり、緩すぎて垂れ下がったり、がよく起こります。が、このキットでは少々の調整でOKです。



 機首に装備された6挺の12.7mm機銃は右側の点検扉が取り外し可能。



 ホントは扉の上辺にヒンジがあり、取り外すのではなく、上に開くようになっている。閉状態で胴体と点検扉の段差の調整が不十分でした。



 朝鮮戦争のF-80の評価もパッとしないところです。モノグラムのプラモ(1991年製)としても格別におもしろいという印象はありませんでした。この角度から見ると、F-80から なんとか頑張りました、という声が聞こえてくるような気がします。




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