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誌上個展

<日本航空史> スキー装備

  by 加藤 寛之
プラモデル コラム



 日本陸軍の航空戦力は、中国大陸の覇権争い用だから、基本的に中国戦線の地上軍を支援するためのものだ。いわゆる満州がそこにあるので、雪に覆われる冬期にも使いたい。よって、車輪をスキー板につけ換えた飛行機の誕生となる。



 私の手元にある「積雪地ニ用ウル飛行機用橇ニツキテ」(大正拾年拾月)と題した印刷物は、ロシア極東飛行学校で見聞した記録とある。そこには橇の形をスキー型とフロート型に大別、スキー型は雪にもぐると抵抗が大きくて転倒する危険性があるので、浅い雪に適しているとある。板は木製で、厚さや加工法なども書いてある。そして飛行中は、前を15~20度上げるとか、前方にはゴム線、後方は鋼線を緩く張る等々、書いてある。橇の図は4機種が載っていて、本記事ではサルムソン機用の図を紹介しておく。3枚の複葉機の写真は日本でのスキー装備機だが、いろいろと試していたのだろう。この印刷物にあるフロート型の説明で興味深いのは、これは木の塊ではなく、スキー型の側面に板を立て上面は布で覆ったもの、とあること。靴みたいな形なのだ。重量は大差ないように解説している。そうなるとしっかりと塗装してあるはずで、木の色ではない。複葉機の時代のロシアのことだから、単葉機時代の日本機もそうなのかは私には分からない。



 単葉機の時代になっても、雪上橇は多機種でテストしている。その様子は渡辺洋二『未知の剣』(文春文庫)に詳しいし、『丸』昭和51年12月号や『航空情報』1959年5月号にもきれいな写真が掲載されている。脚の捩り荷重対策にオレオ内外筒の取付け金具を強化、橇には凍着しないように全面にセルロイドを巻いたという。あるブレーキ試験では、橇の下面から直径50mmの円柱を押し出す仕組みのものがあったそうだ(『航空ファン』1964年2月号)。昭和18年末から19年2月にかけて橇のテストを実施した疾風は、当時「疾風はまだテスト中」の機種だった(『丸』昭和33年6月号)。写真をみると初期の集合排気管タイプで、機首機銃カバーが突出しており、翼内砲は装備していない。カウリング前部には、過冷却防止用らしいカバーを装着している。タイヤ側のカバーは未装備のようだ(野沢正『日本飛行機百選』秋田書店、1972年)。『未知の剣』によれば、この時の橇は金属タイプだったことになる。そのときのタイヤ側のカバーは、飛燕は閉じて固定、隼はその場所に蓋をしてあるようだから、機種によって扱いが異なるのだろう。



 今回はフジミのキットで、橇装備機を作ってみた。橇はチェコのRISING DECALS社のレジンパーツで、デカールも付いていた。パーツに2013年製造とあるから、今では入手困難かと思う。キ55はキットの塗装説明図にもあるように、カウリングは焦げ茶色だ。当時の彩色絵葉書も焦げ茶色で刷ってあるし、当時にこの機種を整備していた方から聞いた時も、焦げ茶色であると確認している。オレンジ色は黄橙色をちょっと赤くしようとしたら、やたらと赤みが強くなってしまった。色がもったいないので(本当は赤みが強い方が塗りやすいからだ)そのまま使ったが、赤みがあるカラシ色くらいが妥当だと思う。ピトー管の形が違うみたいだが、まあいいや。




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