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(Photo) Trabanto in Berlin

by  コルディッツ
博物館実機写真

 Fw200コンドルの非公開を告知された後は、シュプレー川沿いに「ベルリンの壁」をキャンバスにした壁画が1.3km並ぶ、イーストギャラリーを徘徊して、傷心を癒やしました。その時、私の眼に眼に飛び込んだのは、トラバントの壁画です。

 イーストギャラリー(ベルリン)      2023年5月撮影


 某人気アニメーションのOP画像は、この壁画にインスパイアされたに違いありません! 壁をぶち破るトラバントは、第三次世界大戦になるかもしれない「東西冷戦」を、つかの間の一瞬、消し去った表現に思えました。当時は30歳過ぎの若造でしたが、
1989年の壁崩壊時の熱気と高揚感、そして戦争のない安堵感を感じたのは、つい昨日のように覚えています。記憶を辿りながらトラバントの壁画画を見ていたら、背後の公道ではトラバントが行進中!


 これはトラバントを運転してベルリン観光する人気のツアーで、主催は「トラビ・ワールド」です。トラバントの走行を画面以外で見たのは初めてで、感激しました。ドライバーの観光客も壁画見物の観光客も、笑い合い、手を振り合う愉しい光景でした。




 フォローミーカーに後続するトラバント軍団は、スローペースで走行します。
 今は亡き東ドイツー最近の文献ではドイツ民主共和国(DDR)、高校時代の地理の授業ではドイツ民主主義人民共和国と暗記しましたが、当時は東ドイツ消滅なんて想像できませんでした。


 DDR(ドイツ民主共和国)博物館にて


 東ドイツ社会を切り取って展示するDDR博物館でも、トラバントは人気の展示です。何時も人だかりで、運転席に皆座りたがり、人物を外しての撮影は困難でした。




 車体後部右側の「DDR」は国名の頭文字のステッカーです。
 現在はほとんど見かけませんが、1990年代はヨーロッパ各国の頭文字を入れた楕円のステッカーが売られていて、これを付けた車を多く見かけました。「DDR」は鉄板製が多かったと思います。
 安く軽く嵩張らない絶好のバラ捲き用土産で、私は買いまくりました。スウェーデンが「S」故に、スイスは「CH」、スペインは「ES」となっているのが面白かったです。



 トラバントの歴史は東ドイツの歴史でもあります。1957年にP50型やP60型の生産が開始された時点では、西側の車に遅れを取るものではありませんでした。1964年にモデルチェンジしたP601型の生産が始まりましたが、その後モデルチェンジのないまま、1989年の壁崩壊と翌年の生産中止を迎えた時、国家も車も西側との格差は絶望的なまでに拡がっていました。
 しかしトラビ人気は21世紀に入っても強く、英国の王室空軍博物館コスフォードでは、東側を代表する車としてトラバントを展示し、日本のアニメではOPに使用されました。と言う訳で、今回の「ドイツ車」特集には、トラバントは欠かせないと確信した次第です。

 王室空軍博物館コスフォードにて      2016年4月撮影



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