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誌上個展

<日本航空史> 零式練習戦闘機

  by 加藤 寛之
プラモデル コラム

 つまり、ゼロ戦の複座練習機型。何気なくハセガワ1/48零式練習戦闘機一一型を作り製作記事まで書いてみたが、この機会をのがすとチャンスは二度と来ないと思って<日本航空史>にまとめた。プラモでなく実機のいろいろな話題をとりあげたい。混乱をまねきかねないコトばかりなのだが、私は実機を見た世代の記憶や記録を、見たことがない人が資料本をもとに正誤を論じるのは危険だと思っている。それよりも、プラモデルで「タメシに作ってみたよ」の方は明るく楽しいと思っている。



  まずは、概説的なことから。零式練習戦闘機は零戦資料集のオマケみたいな扱いが多いなかで、『丸』昭和48年5月号の第2特集「零式練習戦闘機のすべて」は興味深い。零式練戦の試作改造では、機体のよじれをふせぐために「風防の枠がそれまでよりぶあつくされ」たという。後席を囲むぶ厚いスライドレール部分は、補強を兼ねていたようだ。「後部をおおう(風防)部分は…、縦に二つ割りにして蝶番でとめ、たたんで横びらきにして教官が出入りする」ようにしたという。量産機は後方スライド式。また、零戦よりも「前席はややせまくなっていた」。「落下増槽の取りつけ部を廃止し」たが、特攻化の改修では「250キロ爆弾1発を搭載できるようにし、・・・信管作動用の風車翼・・・をとめているピアノ線を体当たりの直前に、パイロットが機上からはず」せるようにした。
色については「橙色の練戦」「機体をオレンジ色に塗り」と別々の記事にある。実戦部隊にも訓練や連絡用に少数機が配属されていた。「台南空のように第一線にちかい基地においては、…他の単座機と同一の外装がほどこされ」ていたという。初心者の練習目的ではないから、上面緑・下面灰色ということなのだろう。ちなみに、後述の長谷川一郎氏の文には、「末期になると追浜を初め、あちこちの基地にカウリングの黒以外は上側面を暗緑色に塗り、下面のオレンジはそのままという機体をよく見かけた」とある。

  次は胴体。前席の位置がやや前になっていることは知られているが、「長い」という説がある。『世界航空機三面図集 第4集“日本の海軍機篇”』(鳳文書林、1955年)の「零式練習戦闘機」一一型の全長をみると9.150mとある。同誌の「零式艦上戦闘機一一型」は9.060m。全長は古い資料ではまちまちだが、この本の零式練習戦闘機は9cmほど長い。付図もカウルフラップと主翼前縁との距離が長く描かれている。機首が長いかもしれないことは長谷川一郎氏が『航空ファン』1988年1月号の2式練習用戦闘機(96艦戦の複座練習機)のカラー側面図の解説文中で2式練習用戦闘機は機首を前に伸ばしていると指摘した後に「零式練戦も機首まわりに同じようなことがいえそうなので、ただいま検討中」と言及している。この胴体延長説を否定する記述もある。『世界の傑作機スペシャルエディションvol.6 零式艦上戦闘機』(文林堂、平成24年)で秋本實氏は「胴体は延長されていなかったが、防火壁の位置が後退し」と、わざわざ胴体延長を否定している。この記述は延長説を踏まえたものだろう。「検討中」とした長谷川一郎氏も『航空ファン』1990年5月号の零式練習戦闘機のカラー側面図の解説で言及していない。さて、どうなのだろうか。

  そして主翼。航空情報編『日本軍用機の全貌』(昭和30年)に、「主翼は日立製のものはA6M2、21空廠(大村)製のものはA6M5のそれを使用している」とある。それで気になったのが、ハセガワ1/48零式練習戦闘機の機内色指定。「コクピット色(三菱系)」なのだが、それでよいのだろうか。私は気にならないけれども。



  次は零式練戦の前席左右にある小さなドアについて。陸軍の鍾馗にも同じようなドアがついている。ところが鍾馗にはこれを開けた写真があるのに、零式練戦には見あたらない。秋本實氏は「出入りを容易にするため」と記述しているが、戦闘機型で乗降に支障がなかったのに、この理由は不自然に思えてならない。実機に搭乗された方にこのドアについて伺ったところ、零式練戦のこのドアは乗降を容易くするドアではなく、緊急脱出の際に横へ出るためのものだそうだ。そのために、ここを開けるためのレバーは、簡単に手が届くところにはないそうだ。なおこの方はラバウルにいた経験があり、現地改造の2座ゼロ戦は3機あったと断言した。零式練戦は知っているのだから、ホントに現地改造型が3機あったのだろう。
 ドアといえば、左側面の後胴で水平尾翼の前に増設したフィンの下の位置に、四角い形を描いた図面がある。前掲『世界航空機三面図集 第4集“日本の海軍機篇”』、『日本軍用機の全貌』がそれにあたる。ほかにもあるかもしれない。

  オレンジ色と灰色説について。『航空ファン』1962年1月号p.148の「モデル工作よろず相談室」に、「むかし、私の家の近くに複座の零戦が不時着したことがありますが私の記憶では、たしかオレンジ色だったと思います」とある。そのオレンジ色だが、当時の複製絵画や彩色葉書をみると朱に近いものもあるが、洋辛子の黄色やそれに少し赤みが入ったような色も多い。長谷川一郎氏の記事によれば「陸軍機の方が黄色が強かったのではないか」とある。退色しやすい色で翼の表裏で色が違っていたそうだから、どちらも正しいかも知れない。その長谷川一郎氏が描いた『航空ファン』1990年5月号の零式練習戦闘機のカラー側面図、同1988年1月号の2式練習用戦闘機のオレンジ色は結構赤い。
一時期、零式練戦灰色説が広まった。これは意外に歴史があり、戦後わずか18年の『航空ファン』1963年10月号にみられる。灰色説について長谷川一郎氏は同カラー側面図の解説文中で「私や友人の見た限りでは風防前部以外はオレンジ色であった。私達の見ていない所に灰緑色の機体があったかどうかは知らない」と書いている。

 冒頭の内容に反するが、キットについて少し。キットは既存製品を基本に、複座のための胴体や風防パーツ、吹流しパーツを新造、一部は自分で手を加えるという構成。商品として売れる数量を考慮すれば「これで充分でしょう」という水準でまとめている。自分で改造するのは大変だから、キットになっていることを素直に感謝したい。塗装は、私は迷いなくオレンジ色にするので、それもあって成形色は灰色よりもオレンジ色がイイな、とは思う。赤っぽくしているのは私の好みと、手元にある色で塗ってしまうモノグサが原因だ。



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